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「いいよ。僕は僕で集中してるから」
「本当?ありがとう。ごめんね」
「あはは。謝るのとお礼を同時にするなんて、恋ちゃんらしいね」
詩紋くんは柔らかく微笑う。
付き合うようになって初めて知ったけど、この人はこんなに穏やかな表情をするんだ。
太陽みたいな満面の笑顔じゃなくて、私を包むような。
かぁっと上昇した頬の温度を知られたくなくて、慌てて台本を捲った。
滑らかに走り出した車の振動が心地好い。
テレビでは二月に撮影を終えた昼ドラが放映真っ最中で、先日ロケを終えた映画の予告が始まった頃、私は二日間のオフを貰った。
一日だけスケジュールが重なった(どうやら合わせたらしい)詩紋くんと初めての、松本さんにも事務所にも内緒の日帰り旅行。
付き合って間がない上に、お互い最近忙しくてゆっくり会う間がなかった。
だから、少し嬉しい。
とは言っても、オフが明けたらすぐに次の仕事が始まるけれど。
次は恋愛もののドラマ。
こんなに仕事を貰えるなんて、幸せ者だと思う。
役作りはオフの間にある程度はしてしまいたい。
そう申し出た私に、詩紋くんは快く了承してくれた。
誘ったのは僕だし嵐山まで時間かかるからその間を利用してよ、って。
台本を読み始めれば、後は世界が染まる。
同僚との新しい恋と、昔の恋人。
いつまでも苦しかった恋を捨てられないまま、二人の間で揺れて、揺れて。
そんなヒロインの切ない心を描くドラマ。
物語の世界に、いつもより容易くそっと寄り添っていける。
うん。苦しい恋ほど、忘れられないんだよね‥‥
「着いたよ、恋ちゃん」
「えっ?」
いきなり声を掛けられて、世界が変わる。
車窓から見る景色は緑が濃くなっていた。
どうやら目的地の嵐山らしい、なだらかな山地。
「うわ、五時間も経ってる!‥‥ごめんね」
「気にしないでいいよ、集中してたみたいだから」
「う、うん。台本読むと何も見えないクセがあって‥‥‥」
「‥やっぱり恋ちゃんは女優なんだね」
「え?」
「ううん。集中してる顔も可愛くて、キスしたくなった」
「‥っ!!」
サラッと言われると物凄く照れるのだと、知ってて言ってるからこの人はタチが悪い。
一瞬だけ切なそうに見えた瞳は多分、気の所為だろう。
その証拠に、クスクス笑いながら私の頬を撫でるんだから。
「ほら、赤くなってる。どうしたの?」
「っ、もう!詩紋くんのばか」
「‥‥‥本当、可愛い」
そう言って綺麗な顔が近付いてくる。
こんな甘い空気、どうしたら慣れるのかな。
唇で触れられた額の熱さに、身体の温度も追いつきそうだった。
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