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事務所のビルの地下に駐車場がある。
詩紋くんは狭い室内で、迷う事無く地階のボタンを押した。


エレベーターを降りて真っ先に眼に付いたのが、一台の車。
初めて詩紋くんとドライブした時の、あの車。

それを見た瞬間、懐かしいのか恥ずかしいのか、嬉しいのか。
とにかく心が浮つく感じを覚えた。



「どうぞ」

「う、うん、ありがとう」



当たり前のように助手席側のドアを開けてくれる。
その仕草にすら落ち着かなくなる私は、どこか変。
きっと病気なんだ───心の。





走り出した車内はシンと静まり返っていた。







『うちの社長面白いでしょう?』

とか

『モデルの仕事を主に引き受けてるらしいね、撮影に慣れた?』

とか。


環境が少し変わって同じ事務所になった詩紋くんに対して、話題って尽きないはず。
なのに、何か話さなきゃと思うものの、上手く言葉が見つからなくて。

二ヶ月振りに会う彼に、妙に緊張を覚える空間が存在していた。



「‥‥ねぇ、恋ちゃん」

「はい?う、うん?な、何!?」

「あはは、大丈夫だよ。襲ったりしないから」



クスクス微笑う詩紋くん。
今、さらっと彼らしくない発言を聞いた気がしたけれど。
‥‥気のせいにしておこう。



「恋ちゃんはどこか行きたいところある?」

「え、今から?」

「うん。それとも明日が早いからやめたほうがいい‥‥かな?」

「ううん。それは大丈夫なんだけど‥‥」

「じゃぁ今からデートしようよ」

「‥‥えっ?」



デート?
デートって。

突然の発言に固まった私の空気に気付いたのか、詩紋くんはバックミラー越しに小さく笑った。



「恋ちゃん驚いてる」

「お、驚いてるよ!だって急に‥」

「だって僕、この前言ったよね?もう遠慮しないから覚悟してね、って」

「‥‥うっ」



鏡越しなのに、その青い眼に何か魔法でも掛かっているんじゃないかと思う。
チラッと見られただけなのに、吸い込まれそうになるんだから。



「そ、それって、次の撮影で苛めるぞーって意味じゃないの‥‥?」

「‥‥‥‥え?」



詩紋くんの眼が今度は真ん丸に開かれた。



「‥‥恋ちゃんって凄い‥‥‥」

「え?‥‥違って、た?」

「全然違うよ。凄く違う」

「ごめんなさいっ」



違ったんだ‥‥‥。



眼を瞑り首を竦めながら謝れば、呆気に取られたのか溜め息が聞こえた。



違った‥‥‥じゃぁ、あの言葉の意味はもしかして、もしかすると。
勘違いとか自惚れといったものじゃない‥?


まさか。
それこそ自惚れだ。
心の中で否定して、私は助手席側の窓の外を見遣った。

その時、ふ、と笑ったような気配がしたから顔を上げた。



詩紋くんは怒ってる顔じゃなくて、ちょっと呆れたみたいな。
すごく優しい瞳をしていた。



「そのままの意味だったのにな」

「あ、あああああのっ、詩紋くんっ?」

「うん?」

「うん?じゃなくて!」



とぼける様に聞き返された私は思い切り言葉に詰まった。



「顔、赤くなってる」



そんな私を見て詩紋くんはくすりと笑う。
今日はやたらと機嫌がいいらしい。
余所見運転はダメでしょ、って返すのが精一杯な私。

まるで、彼の手のひらで転がされているみたいだ。




夕陽を背に進む車の中。

紅く染まる横顔を、今は私が独り占めしている‥‥‥。




それは、キラキラ光る宝石みたいな、尊いものに感じた。

 


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