(3/5)
事務所のビルの地下に駐車場がある。
詩紋くんは狭い室内で、迷う事無く地階のボタンを押した。
エレベーターを降りて真っ先に眼に付いたのが、一台の車。
初めて詩紋くんとドライブした時の、あの車。
それを見た瞬間、懐かしいのか恥ずかしいのか、嬉しいのか。
とにかく心が浮つく感じを覚えた。
「どうぞ」
「う、うん、ありがとう」
当たり前のように助手席側のドアを開けてくれる。
その仕草にすら落ち着かなくなる私は、どこか変。
きっと病気なんだ───心の。
走り出した車内はシンと静まり返っていた。
『うちの社長面白いでしょう?』
とか
『モデルの仕事を主に引き受けてるらしいね、撮影に慣れた?』
とか。
環境が少し変わって同じ事務所になった詩紋くんに対して、話題って尽きないはず。
なのに、何か話さなきゃと思うものの、上手く言葉が見つからなくて。
二ヶ月振りに会う彼に、妙に緊張を覚える空間が存在していた。
「‥‥ねぇ、恋ちゃん」
「はい?う、うん?な、何!?」
「あはは、大丈夫だよ。襲ったりしないから」
クスクス微笑う詩紋くん。
今、さらっと彼らしくない発言を聞いた気がしたけれど。
‥‥気のせいにしておこう。
「恋ちゃんはどこか行きたいところある?」
「え、今から?」
「うん。それとも明日が早いからやめたほうがいい‥‥かな?」
「ううん。それは大丈夫なんだけど‥‥」
「じゃぁ今からデートしようよ」
「‥‥えっ?」
デート?
デートって。
突然の発言に固まった私の空気に気付いたのか、詩紋くんはバックミラー越しに小さく笑った。
「恋ちゃん驚いてる」
「お、驚いてるよ!だって急に‥」
「だって僕、この前言ったよね?もう遠慮しないから覚悟してね、って」
「‥‥うっ」
鏡越しなのに、その青い眼に何か魔法でも掛かっているんじゃないかと思う。
チラッと見られただけなのに、吸い込まれそうになるんだから。
「そ、それって、次の撮影で苛めるぞーって意味じゃないの‥‥?」
「‥‥‥‥え?」
詩紋くんの眼が今度は真ん丸に開かれた。
「‥‥恋ちゃんって凄い‥‥‥」
「え?‥‥違って、た?」
「全然違うよ。凄く違う」
「ごめんなさいっ」
違ったんだ‥‥‥。
眼を瞑り首を竦めながら謝れば、呆気に取られたのか溜め息が聞こえた。
違った‥‥‥じゃぁ、あの言葉の意味はもしかして、もしかすると。
勘違いとか自惚れといったものじゃない‥?
まさか。
それこそ自惚れだ。
心の中で否定して、私は助手席側の窓の外を見遣った。
その時、ふ、と笑ったような気配がしたから顔を上げた。
詩紋くんは怒ってる顔じゃなくて、ちょっと呆れたみたいな。
すごく優しい瞳をしていた。
「そのままの意味だったのにな」
「あ、あああああのっ、詩紋くんっ?」
「うん?」
「うん?じゃなくて!」
とぼける様に聞き返された私は思い切り言葉に詰まった。
「顔、赤くなってる」
そんな私を見て詩紋くんはくすりと笑う。
今日はやたらと機嫌がいいらしい。
余所見運転はダメでしょ、って返すのが精一杯な私。
まるで、彼の手のひらで転がされているみたいだ。
夕陽を背に進む車の中。
紅く染まる横顔を、今は私が独り占めしている‥‥‥。
それは、キラキラ光る宝石みたいな、尊いものに感じた。
< >
BACK