涙
「桃殿、如何された?」
「‥何でもない。美味しいね」
「うむ、幸せでござる!」
美味しそうに大福を頬張っていた幸村が、口をもごもごさせながら頷く。
それは本当に美味しそうで幸せそうで。
真っ赤になる幸村も、幸せそうな幸村も可愛いなぁと思いつつ、胸がキリリと痛んだ。
「ほら、餡子が付いてる」
「むっ!?」
口の端の餡子を指で取ってあげる。
すると見る間に顔が赤く染まった。
それはもう着ている甲冑と同じ色まで、見事なほどに。
「はっ‥」
「は?」
「破廉恥でござるぅぅぅぅぅ!!」
その大音声に身を竦める間に、廊下を走り去っていったのか。
「おぉ御館さばぁぁぁぁ!!幸村をお殴りくだされぇぇぇぇぇ!!」
叫ぶ声が段々遠く、小さくなった。
「どこのM嬢なのよ、幸村‥‥」
タイムスリップしてから結構経つけど、相変わらずあの主従が分からない。
「ゆきむるぁぁぁぁぁ!!」
「うぉお御館ざばぁぁぁぁ!!」
と絶叫しながら、そこが邸だろうが城だろうが関係なく殴り合って絆を深めている。
アレは間違いなく武田家の名物だ。
K−1選手も真っ青な迫力なんだから。
ちなみに初めてそのシーンに遭遇した時は、柱も襖もぶっ飛ぶ迫力に怯えて泣いた。
うん、あれから耐性が付いたと我ながら思う。
「あーらら。喧しいと思ったら、旦那ってばまーた行っちゃったの?」
「‥‥‥みたいですね」
気配一つなく、頭上から声が降る。
どうやら屋根裏に潜んでいたらしい。
ああ、最初はこうやって話しかけられる度に驚いて。
目の前に突然降って来るから、腰を抜かして。
慌てる私を見て、佐助さんは呆れていたっけ。
俺様は忍なんだから当たり前なの、って。
でも今は、振り返る事もない。
正座のままで、迷彩柄を眼で探すこともしない。
「ほんと、旦那は初心だねぇ」
「そこが幸村のいい所なんですよ」
鮮やかな髪の色も、見たくない。
「‥あれ?今の嫌味?」
「そう聞こえたんならそうじゃないですか」
「うっわぁ‥‥俺様傷付いた」
嘘吐き。
あなたは私の言葉で傷付いたりなんか、しないくせに。
あなたは、私のことを何とも思ってないくせに。
「‥‥で、いつになったらこっち見てくれるの?」
「‥‥‥」
深みのある声が頭上から背後に移動した。
足音一つ立てずに天井裏から降りてくるのは、彼が忍だからで。
あなたは、なくてはならない人だから。
幸村にとって、真田家にとって、手離せない優秀な忍。
歴史の中でも、最期まで幸村に従った人だから。
『じゃ、俺様が勝ったらさ‥‥‥旦那から奪っても、いい?』
『‥‥え、』
『あーあ。俺様我慢してたのに、降参』
あの言葉も、ただの戯れだと
冷静に考えれば分かりきったことなのに。
『‥‥なんてね。びっくりした?』
真剣だった顔を、ふ‥と緩めた。
あの瞬間を今でも忘れない。
「桃ちゃん」
我に返れば、いつの間にか正面に。
片膝を付いた姿勢の佐助さんと眼が合った。
「俺様ねぇ、旦那の優秀な忍なの。旦那を勝たせる為に生きて、死ぬ時は旦那の盾として死ぬ」
瞼に浮かぶ光景。
襲われた私を護るべく、立ちはだかる背中。
「佐助」と呼べばどこからか「はいよ」って返事と共に、突然現れた人。
『俺様がやるよー?』
『いや、お前はこの娘御を陣へ連れて行ってくれ』
『はいはい。んじゃすぐ戻るから』
『頼む』
『了解ーっと』
幸村が振り返る事無く、背中を預けられる佐助さん。
佐助さんが何を置いても帰ってゆくのは、幸村の背を護る場所。
戦場を知らない私だけど、これだけは分かる。
彼が主君を裏切る筈なんてないってことは。
忍は恋に狂わない。
いざという時に躊躇わぬ様、心に「絶対」を作らない。
主の為に散る覚悟。
そして、遺される悲しみを思えば、心に重荷は不要なのだと──。
そう教えてくれたのは、佐助さん。
「旦那は俺様の主だ。俺様の忍の技も、命も旦那の物」
「‥‥はい」
「その旦那の幸せは桃ちゃんの隣にあるから」
佐助さんが困ったように笑う。
いつもの、御館さまと幸村を宥める時の、幸村の甘味への暴走を止める時の、苦笑。
なのに何故か見ているだけで切なくて、泣きそうになった。
「‥‥‥桃ちゃんは誰よりも幸せになれる。旦那なら君を、三国一の幸せ者にするよ」
きっとこれは、佐助さんの答え。
秘めた私の気持ちを知っているから。
「佐助さん、私」
「可愛い君に、宛ての無い逃亡の旅なんか似合わないって」
瞼が熱くなって、眼を閉じる。
流れないように。溢れてしまわないように。
涙も、この恋も。
───あなたとなら、どんな旅でも辛くないと、
言いかけた震えるこの唇も。
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