「何処行くの、幸村?」

「う‥‥」


問いかけに、幸村の背中がぎくりと揺れた。

静かに近付く私の気配なんてとっくに気付いてる筈。
だけど、逃げずに律儀に答えてくれるのが幸村だ。


「い‥‥いや、その、かか厠へ」

「そう、厠ね。行ってらっしゃい」

「桃殿っ!」


にっこりと笑って頷いてあげれば、幸村が輝く表情で肩越しに振り向く。
‥‥パタパタと揺れる尻尾と耳が見えるのは、気のせい?


「でも、槍は置いて行こうね。厠には必要ないでしょう?」

「‥‥桃殿ぉ‥」


厠に行くだけなのに赤い甲冑を着込むのも不自然でしょうが。

続けて言えば、幻の耳がしゅんと垂れ下がった。

悲しそうに「駄目?」とでも言わんばかりの眼で私に訴えかける幸村に、ちょっとほだされかけるんだけど。


「駄目。一週間前まで死に掛けてた人は、大人しくしてなきゃ!」


腰に手を当てて、めっ、と睨みつける。

死線を彷徨っていた幸村の意識が戻って、たったの一週間なのは本当の話。
失血量が多く、その後も三日間は起きることも叶わなかったのだ。

まぁ、起きれるようになってからの回復っぷりの半端ないスピードに驚いてばかりだけど、それでも要安静を言い渡されている身なのは変わらない。

その間、どれだけ心配したことか。
勿論そんなことは幸村本人がよく分かってくれているから、今だってそれ以上駄々を捏ねようとはしない。
私の言葉にがっくりと肩を落とすけれど。

‥‥‥もう、仕方ないな。


「それより、一緒にお茶飲もうよ。佐助さんがお団子買ってきてくれてるの。蓮華堂の限定品なんだけど?」

「───ま、誠でござるか?」

「うん、部屋で待ってて。用意するから」

「承知したっ!」


今度はもう、飛び切りの笑顔で駆けて行く。
尻尾がはち切れんばかりに揺れている気がする。
そんな幸村はじゃれ付く犬みたい。

可愛い。
なんて思ってしまった。


「桃ちゃんは旦那に甘いねぇ」


微笑ましい気持ちで背中を見送っていると、やっぱり想像通り背中に声が掛けられる。


「‥‥佐助さんには負けます」

「俺様が?冗談」


くすりと笑う声に、何処か自嘲めいたものを感じて振り向いてしまった。

見たくなんてなかったのに。
夕陽に似た色の髪を目にすると、ずきりと胸が鳴る。


「俺様のは仕事のうちなの」

「だったらこんな所で油売っちゃってていいんですか?今もお仕事中なんでしょ」

「あら、そんな事言っちゃう?まぁ、君に話しかけるのも仕事のうちってことで、見逃してよ」

「‥‥私と話をするのが仕事?どうしてですか」

「君は旦那の奥方様になる人だから、ご機嫌取りもしますって。これでも色々と気を使っちゃうんだぜ俺様。大変だろ?」


幸村が回復してから、彼の前では決して私に話しかけてこなくなった。

私がそれに気付いてないとでも思っているのか。
否、きっと彼は知っている。

‥‥だけど。


「馬鹿ね」


ぽつりと呟きを落とせば、「ん?」と首を傾げる佐助さん。

一見人懐っこくも取れる瞳の奥で、どれ程彼が理知的で客観的に物を捉えるのか。
目的の為に、己の情すら捨てる程の非情さを持っている人。

簡単に、人を殺してしまえる人だ、けれど。



もう一度、今度は心の中だけで呟く。


馬鹿ね、佐助さん。



「佐助さんの嘘吐き」

「ええ〜?ちょ、俺様心外なんだけど!」

「気を使っているのは私にじゃなくて、幸村にでしょう?」


佐助さんは何も言わない。
けれど間違っていないと確信を持って言える。


だって、佐助さんの瞳に気付いてしまったもの。


「本当は私のこと、幸村の許婚だなんて思ってないくせに」


どんなに口で私を「奥方様」と呼んでも、彼は認めてなんかいない。



それは私の望んでいる意味じゃない。

ただ単純に、いずれ「主」になる存在と認めてないだけだ。
そんなの分かっている。

それでも。
彼にとって私は何時までも、私がただの「桃」でしかない事実が嬉しい。

きっとどんな立場になったって、私は取るに足らない女でしかない。


だからこそ、いつまで経ってもこの人を振り切れそうになくて。


「‥‥‥佐助さんが私を認める日なんて、きっと一生来ない」


私は卑怯。

佐助さんが私の「立場」を受け入れようとしないから。
だから振っ切れないのだと、佐助さんの所為にしている。

じゃあ彼が心の底から「奥方様」と認めてしまった時に、諦めてしまえるのか。
そう聞かれても、頷く事も出来ないけれど。


「‥‥‥そうだね」


深く一呼吸する間が空いて、それから佐助さんが頷いた。


「俺様は一生、君を認めないよ」

「佐助さん‥‥」

「君みたいに何も持たない女が、主になる?俺様が君の下で働くって?冗談でしょ」


吐き捨てた言葉はきついのに。


それは私の願望ゆえなのか、真実彼の願望なのか。
存在を否定する言葉なのにとても、とても、甘く聞こえた。




一生君を主と認めないと、拒否されたことが嬉しい。




熱いものが溢れて、滲み出ようとする。
必死で堪える視界の中で、迷彩が揺れた。


「早く行きな。真田の旦那が痺れ切らしてるぜ」

「‥‥佐助さんも一緒にどうですか?お団子、買ってきてくれたんだから」

「俺様?」


誘われたのが意外だったのか、ぱちくりと眼を瞬かせて。


「‥‥遠慮しとくよ。旦那が拗ねるでしょ」


優しい笑みを浮かべながら佐助さんの手が私の頭を撫でた。


「幸村は嫌がったりしないのに」

「あらら。鈍いねぇ、桃ちゃんってば」


頭の手が離れ、代わりに腕を引かれる。
ぼすり、柔らかい衝撃と、視界が斑模様に埋まって‥‥‥思わず眼を閉じた。

背中に添えられた手は触れるか触れないか。


「‥‥惚れた女が他の男と一緒にいるのなんて見たくない、ってね」


壊れ物のような抱擁は、気のせいかとも思わせるギリギリのライン。


「え、───」

「ささ、行った行った!」

「佐助さん!」


するりと離れた手が、今度は背中を押した。

瞼を開けると既に彼の姿はない。
屋根の向こうに飛んで行ったのだろう。




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