「では某達は行って参る、桃殿」

「なーに、旦那のことなら心配要らないって。なんせ優秀な忍がついてるからさ」

「あ‥‥」


こんな時、いつも私は言葉が出なくなって困る。

幸村を将と仰ぎ二人を待つ軍の元に、早く彼らを出立させてあげなければいけないのに。


「桃殿?」


幸村は優しい。
決して急かす事無く、私の言葉を待ってくれる。
決して時間があるわけでもないのに、その時間を費やしてでも、出立の前に挨拶に来てくれる。


「幸村、佐助さん‥武運をお祈りするから‥‥‥無事に、帰ってきて」


戦のない時代に生まれただけに、怖くない筈がない。

武運なんて本当はどうでもいい。
そもそも国盗り合戦の事なんてどうでもいいのだ。

ただ、幸村が。幸村たち武田領の武将が仰ぐ信玄様が斃れてしまえば、私がいるこの上田城も終わりなのだということ。
平和に生きていた私には到底辿り着けない信念で、戦国の世が動いている。

だから、本音なんて言えやしない。


上手く笑えない頬の筋肉を、それでも無理矢理引き上げる。


「必ず、桃殿の元へ帰る故、待っていて下され」


神妙な声と共に、私の肩に置かれた手。
籠手を嵌めた幸村の手は硬い感触と伝わる筈のない熱を伝えた。


普段は、私が少しでも触れると「破廉恥でござる!」と逃げ出すくせに。
すぐに顔を真っ赤にするくせに。

今は逃げもせず、照れもせず、真っ直ぐ私と眼を合わせて。



こんな時だけずるいよ、幸村。


「‥‥うん」

「それでは城の留守をお願い申し上げる、桃殿」

「任せて。気をつけてね」

「うむ。かたじけない」


私が寂しい思いをしないようにとの配慮なのだろう。
幸村は戦の度に、私に城の留守を頼んでくる。

それは幸村と私との【将来】を見据えている上での言葉だと、知る由もなかったけれど。



肩の手がするりと離れた。
それに気付いた時には、幸村の足は大地を踏みしめては居なくて。

紅の戦装束に身を包み鉢巻きを額にきつく結んだその姿は、身長よりも長い二本槍を背に、颯爽と馬上に在る。

それはまさに私の世界で見ていたポスターの、炎の若武者そのもので。
‥‥当たり前なんだ。
だってあのポスターも幸村なんだもの。


「大丈夫だって。飯食ってる間に片付けてくるぜ」

「‥‥佐助さんも行かないんですか?」


幸村が出立したのにまだその場に立っている。


「俺様を誰だと思ってんの。後からゆるーく追いつくさ」

「そう、」

「‥‥‥桃、ちゃん?」


佐助さんは私の顔を見て、固まった。
私も眼を逸らせないまま暫く固まってしまう。


「‥‥あららー」


ぎゅ、っと肩に置かれた手。

籠手の感触が残る場所に、今度もまた籠手の感触。

それからもう一方の手が頭を撫でる。
ふわりと、風が撫でるかのように、そっと。


「はいはい。言いたい事あるんだったらちゃんと言いな」


‥‥何でもう、この人は。


「‥っ!」

「おぅわっと!?」



なりふり構わず抱き付いた。

慌て上擦る声を聞かなかったことにして、背中に回した手に力を入れる。
胸板は厚く、一瞬堅く強張ったのはきっと気のせいじゃない。


言えなくて飲み込んだ本音を吐き出させようとするこの人は、優しいようで卑怯なのだ。

この想いを知りつつなかった事にするくせに、諦めさせてくれない。
心が折れそうになった時に決まって、心を掴み上げる。



私の隙を突き、この恋をもう一度再認識させて、あなたは。

‥‥‥あなたは、やっぱり卑怯な人。


「桃ちゃん。離してくれないとさ、俺様行けないんだけど」

「‥‥そ、ですね」


そしてこうしていても幸村の面影に謝っている私は、最低。


「俺様が居ないと誰も旦那を止められねぇんだぜ?」

「佐助さんほど優秀な忍は他にいないから、でしょ」

「そっ、よく分かってんじゃん‥‥って!いや、だからね」




いっそ、素直に好きと言えたら。

思い切り振られてしまえば。

この人を諦められるんだろうか。



「手、離してよ‥‥【奥方様】」


その声から一切の感情が消えた。


「‥‥っ」



視界を塞ぐ胸からは表情が伺えない。
見えないほうが良い。
見たらきっと泣く。

決して抱き返す事無く身体の両側にだらりと下がったままの腕が、所謂彼の『答え』なのだから。

抱きついたときとは反対にそっと離れると、佐助さんがゆっくりと息を吐いた。


「‥‥‥安心してくれ。旦那はあんたの元に返すから、必ず」

「‥はい。幸村のこと、お願いします‥‥佐助さんもご無事で」

「はいよー。真田忍隊隊長・猿飛佐助。いざ忍び参る、ってね」


敬礼に近いポーズでおどけて見せると、ひゅうと風が吹く。
一瞬後には彼の姿は風の中に消えた。


「‥‥ごめんねっ‥」



いつからこんなに泣き虫になったの。

いつから一人で泣くようになったっけ。


誰も居なくなれば、漸く泣ける。
でも、泣く自分が許せない。



「‥‥、ごめん‥」


私はあなたを裏切っている。


「ゆきむら‥‥」


無事を心から祈るこの気持ちだけは、二人に対して真実で、偽りなくて。
幸村が大好きなのに、どうして恋心は不意に訪れたんだろう。
どうして、それでも好きだと想っているんだろう。

握り締めた拳で乱暴に眼を擦っても、滴る雫は止まる事を知らなかった。









早く帰ってきて。

もう、隠したりしないから。

たとえ愛想をつかされて、甲斐を出て行くことになっても。


───もう、あなたに嘘は吐かない。













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