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夜。


月の姿はない。

闇夜。
それとも真夜とでも呼べそうな。
深い深い闇の帳が降りていた。

広大で謎の多い土御門家の庭の一角。
微小な生き物ですら身を顰めそうな夜闇の中、動く影がひとつ。



「師匠‥‥‥ごめんね」



着物の上から、懐にある堅い感触をぎゅっと押さえてゆきは一瞬眼を閉じた。
気を集中してみたが、辺りに人の気配はない。
そして、こちらに向ける「視線」も上手く逸れている。



(大丈夫、上手く出来る)



今のところはゆきが部屋から出た事すら気付かれていないのだから。
幾重にも陰形の術を繰り返している今のゆきは、見つからない自信があった。

前回も同じように土御門家から抜け出そうとして、失敗している。
あの時は、当主の意思の前に成す術もなく崩れ落ちてしまったけれど。

今は違う。
数日しか経ってないのに感じるのだから。
ゆき自身に纏う気が、数日前には分からなかった結界の姿を教えてくれる。


郁章が伝授してくれた秘術は、確かにゆきを変えてくれた。



「‥‥やっぱり正面突破かぁ」



邸の塀の内側をぐるっと回り終えて、溜め息を一つ。
結界の力が尤も弱っている所を狙って術をぶっ放せば、何とかなるだろうと探したのだが。
案の定、そこは開け閉めを繰り返している門の周辺だった。

つまりは、一番警戒が強い箇所。

常に監視の眼が届いている場所で。
幾らゆき自身が隠れていても、結界が壊れるとなると筒抜けだろう。


それに‥‥‥。



「綻んでても、こんなの無理‥」



流石は陰陽道の名家。
歴代の当主が術を重ねたのだろう結界は、如何にゆきの力といえど、歯が立たない。

途方に暮れた、その時だった。



「えっ‥?嘘」



───感じる。

塀の、結界の外。
こちらに近付く幾つかの見知った気を。


そのうちの一つが‥‥どうしても逢いたかった人の柔らかな土属性の気。



「‥‥っ、弁慶さん?」

「っ!ゆき‥‥其処に居るんですね?」



その声だけでゆきを泣かせる事の出来る、ただ一人。



「はいっ‥‥‥」




‥‥‥来てくれた。

夢に見るほど、逢いたかった彼が。



冷たい門扉に額を押し付けて、今にも溢れそうな涙を堪えた。
















『どうせ盗賊行為になるんですから、夜陰に奇襲をかけましょうか』


と爽やかに提言した弁慶に、誰一人意を唱える者はなく。
闇の深まりを待って動き出した。

九郎はちらりと隣を歩く男を見る。

闇の中、更に外套を羽織る彼はまさに夜と一体化しているようで、その表情は全く見えない。
彼が何を考えているのか。
いやその前に、事情を聞いていない九郎には全く話が見えて来ない。


そもそも、つい昨日まで修行に出ているゆきの事など口にもせず、先日ヒノエが連れて来た女と行動する事が多かったのだ。

弁慶が心変わりするとは露ほども思わなかったが、やはり心配はしていた。

ゆきが泣いているのではないか、と───。



けれど黙っているのは、鎌倉より届いた書状に認められていた『朝緋姫との婚儀』を弁慶自身は認める気がないこと。

それから、どうやら今から土御門家からゆきを攫いに行くらしいことから。



それにしても妙だとは思う。

彼女に害をなさないと誓った土御門家を信頼しているのではなかったのか?

そう問いたかったが、後で話してくれると言うのだ。
弁慶が其処まで思うなら、九郎は黙って友を信じる事にした。



(俺は‥きっと)



ふと浮かんだ考えを振り切るように、九郎は前を向く。

気付かぬ方がいいのだ。

ゆきの涙を見るのが何よりも辛い、その理由など。








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