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「弁慶さんっ!!」
名を呼んだ途端、世界は眩しくなって、思わず瞼を持ち上げた。
「眩しっ‥!!」
眼に飛び込む光の強さに、また眼を瞑る。
すると誰かが燭を遠ざけてくれたのか、光はやんわりとしたものになった。
「漸く眼が醒めたか。寝坊癖のある弟子だね」
「‥‥し、しょ‥?」
声のした方に眼を向けると、師の郁章が枕元に座っていた。
いつの間にか、ゆきは眠っていたらしい。
白い夜着に包まれた腕をそっと持ち上げると全身が怠い。
この感じからすると、少なくとも一日以上は床に就いていたことになる。
(こんな事も分かるなんて、寝込みまくった経験も役に立つ日が来るんだなぁ)
何度も寝込んだ経験のあるゆきは苦笑した。
それからゆっくり息を吸って、忙しく頭を巡らせる。
何故、自分は眠っていたのか。
不思議な夢を見た、
その前の出来事と言えば‥‥‥
土御門家当主の妨害。
あの術に不意打ちを食らった。
‥‥‥けれど。ゆきは思う。
不意を打たれなければ、或いは抜け出せるかも知れない。
「師匠、私をどうする気なんですか」
ゆきの枕元に座ったまま、手元の書物に眼を落としている郁章に問いかけた。
「それを私に問うのかい?」
彼以外に聞ける人など、いないのに。
その事を郁章自身も知っているのに、ゆきに答えを与えようとしない。
曖昧なはぐらかし方が、彼らしくない。
いつもの彼ならもっと、ゆきに気取らせないように巧妙に話を逸らす。
まるでゆきに、警告しているかのよう。
「君の気は安定していない。今、他の人間に会うのは良くないと、当主も言っていただろう?」
「じゃぁ、なんで師匠に会うのはいいんですか」
「私は、京の中で君に一番近い人物だからね」
「‥‥‥!!」
突然、室内の空気が変わった。
陰陽術の師弟として、少なくない時間を共有しているゆきは、この圧倒的な空気の重さに気付いた。
郁章の右眼が、藍色から真紅に染まっている。
それは即ち、彼の封印を解いている状態だと‥‥‥。
「明日修行を再開する。全てが終わるまで、外には私が出さないよ‥‥‥ゆき」
「っ!!師匠のバカっ!!」
ゆきの手が硬い枕を掴むと、思い切り郁章に投げつけた。
「出てって!!」
「‥‥世話の掛かる子だね。明日は寝坊しないように」
郁章の背が降ろされた御簾の向こうに消えていくのを確認して、ゆきは口元を押さえる。
「‥‥一体、なにがっ‥‥‥?」
普段でもそうだが、今の状態の郁章には尚更、力押しで勝てる筈もない。
さっき、密かに考えた事を綺麗に見抜かれていた。
だからこそ封印を解いたのだ。
ゆきがまだ脱出する気なら容赦はしない、と。
───何故、それ程執拗に阻止するのか。
何もかも分からなくて混乱してしまう。
燭の薄暗い明かりの中、褥の上にぽたぽたと落ちる雫。
「‥‥弁慶さんっ‥!!」
逢いたい。
こんなにも、こんなにも、あなたを求めているのに。
「‥‥‥ゆき、泣いているよ」
「白龍?」
それまで一切の口を開かず静かに座っていた龍神が、静かに告げた言葉は再び室内を静まり返らせた。
「‥‥元宮が泣いてる?」
「白龍、それって今?」
「うん。そうだよ、神子」
「ゆきは此処に居ないのに‥」
「でも、泣いているよ。私には感じる」
弁慶が眉を潜めるも、誰も気付かないでいた。
「変だよな。白龍が元宮の事に気付くなんて」
譲が首を傾げると、敦盛や景時も頷いた。
「土御門家には強力な結界があると言っていたが‥」
「そうなんだよ〜」
「ゆきは先代の白龍が選んだ神子の娘。ですから、今の白龍とも何らかの繋がりがあっても不思議はないでしょう」
「あっ、そういう事か!」
弁慶の説明に納得したのか、望美の表情が少し晴れた。
それを確認して、弁慶はちらりと庭に視線を巡らせる。
───ゆきに何かあれば、たとえ土御門家であろうとも‥‥‥容赦しない。
やや間があって、一旦眼を閉じた弁慶が、深い息を吐いたときだった。
廊を足早に歩く足音が、こちらに向かってくる。
乱暴ではなく一定の速度で、しっかり踏みしめる独特の足音の主に、この部屋に集う全員が気付いた。
「弁慶!」
「どうしたんですか、九郎」
政務の途中に抜け出してきたのだろうか。
大急ぎで来たらしく、肩で息をしながら手に持つ書状を突き出した。
受け取る弁慶は、重い表情。
「兄上から急ぎの書状だ」
「僕に?」
「あぁ、婚儀の日取りが決まった」
「婚儀っ!?」
「ええっ!?ゆきちゃんとかいっ?」
九郎は言葉を区切り、言い難そうに眼を伏せる。
そんな九郎に嫌な予感を覚えたのは、その場に居た一人だけじゃなかった。
「‥‥‥弁慶と、熊野現頭領の従姉妹に当たる姫との、婚儀だ」
「‥‥はぁ?」
「あぁ、朝緋ですか」
弁慶の乾いた声が、更に混乱を招いた。
act17.どんなに遠くても
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