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今宵はなかなか月が出ない。



すっかり馴染んだ土御門邸の濡れ縁で、ゆきは膝を抱えていた。

眠りたいけれど、眠れないのだから仕方ない。
こうして抜け殻のようにぼんやり時間を過ごすのも、すっかり日常化していた。

夜遅くなってから漸く顔を出す月の夜。


『それを居待ち月と呼ぶんですよ』


と、教えてくれたのは、ゆきが今一番逢いたい人。



時々浮かべる怜悧な横顔が、冷たい月のように感じるけれど‥‥‥

本当は誰よりも温かい人。



「弁慶さん‥」



そっと、名前を呼ぶ。

そうすれば昼間と同じで、胸がぎゅっと締め付けられた。


‥‥会いたい。
逢いたい。



「‥‥あ〜っ!ダメだ、会いたいっ!!」



暫く月の出を待っていたゆきだったが、我慢出来なくて立ち上がる。

何だかもう、疲れた。
疲れたら考えるのが面倒になって、色んなものがぷつんと音を立てた。



ただ、もうただひたすら‥‥会いたい。



「こっそり寝顔を見るとか‥‥は、犯罪かな。でも‥」



我慢できない。
寝顔でも、後ろ姿でも、遠目でも良いから弁慶の姿を見たい。



「たった一週間会えないだけで、禁断症状が出るって‥‥どれだけ好きなんだろ」



苦笑しながら部屋に戻る。
夜着の上に手早く羽織に袖を通すと草履を履き、再び庭に下りた。

深夜に廊下を歩けば、邸中に自分の行動を知らせているようなものだ。
此処は土御門家。
住人は皆、只者ではないのだから。

九字を切って隠形の術を施して。

それから早足で庭を横切り、最短距離で着いた門扉。


後は音を立てぬよう、静かに開けて外に‥‥‥。



「何をしている?」

「‥っ!?」



‥‥気配一つ感じなかった。


なのに突然背後から声が掛けられ、ゆきは飛び上がる。



「‥ご当主様」

「郁章から聞いておらぬのか。外に出ることはまかりならぬ」

「‥‥‥どうして、ですか?」



強い語調にゆきはたじろぐ。

深夜に女一人で出歩くな、とか
修行の身で夜遊びをするな、とか
そんな理由ではないような気がした。



「‥‥聞いてないようだな。あやつも所詮人の子か。化け物に成り切れぬと見た」



(‥何、言ってるの)


今喋っているのは郁章の父であり、当主。
ゆきにとっても敬意を払うべき人物。

なのに、たった今の台詞にむっと腹を立てた。

言葉の内容はさっぱり分からない。
でも、息子のことを‥‥郁章の事を「化け物」と呼んだことに対して。



「───退いて下さい。いくらご当主様でも、師匠の事を悪く言う人に従いたくないです」

「‥ふっ、生きが良い娘だ」



ふ、と口を緩める笑い方が、息子とよく似ていた。

何ともいえなくなって口をつぐんだゆき。
その小さな肩に、土御門家当主の手が触れた。



「‥‥っ!?なっ、」



びり、と全身を駆け巡る電流。

束縛呪をかけられた。
土御門の長の、その凄まじい力が全身を襲う。



「外出は許されぬ。そなたの気が変質している今、外気に触れることは禁じる」

「‥‥な、に‥」







気が、変質している?






‥‥ゆきの気が、変わってゆくというのか。


それは何故?

何のために?





‥‥‥どんな、風に‥?















意識が切れた娘の身体。
重みを感じないかのように軽々と、壮年の男が抱えた。


眠ったようにも見える娘の顔色は青く、血の気がない。
だがそれを気にする事もなく、男は寝顔に語りかけた。




「そなたは京に不可欠な存在だ。

‥‥‥白き神子」






















act16.居待ち月

20090325




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