(2/3)
───土御門家の秘術を伝授する───
郁章から真顔で言われたのは、一週間前のこと。
‥‥そう。
たった一週間なのか、もう一週間なのか。
ともかく今のゆきの心境は、まるで世界に置いていかれた迷子のようだった。
世界とまでは大袈裟でも、土御門家に置いていかれた気分だったりする。
「‥‥‥私、確か秘術を伝授してもらうって聞いたんですけど。空耳?」
「ああ、私もそう言った。安心しなさい、君が呆けた訳ではない」
「だよね?ああ良かった。私ボケてなかったんだ」
良かった良かった。とぼやくゆきの顔色はここ一週間あまり冴えない。
そんな彼女に郁章は笑い、けれど彼は何も言わない。
ただ静かな眼差しで、ゆきを見ていた。
「じゃぁ、いつ秘術とやらを教えてくれるんですか?」
一週間、明けても暮れても一室に籠っていた。
食事だとか掃除だとか、日常の細々した用事で室内から出られるものの、大半はこの薄暗く何もない板間で過ごす。
座っている。
否、座った状態でひたすら気を集中させられている。
「いい加減ね、一体何してるか教えて欲しいんだけど、師匠」
「うん?秘術の伝授のことかい?」
「‥‥さっきからそう言ってるのに」
一週間。
ずっと何もしない事に、流石に飽きた。
「それならとうに始まっているじゃないか」
「‥‥‥は?」
ゆきは眼を丸くする。
(これが?)
「私は暇人ではないからね。修行の第一段階は始まっているよ」
郁章は深い溜め息を吐く。
それから、すっかり疲れた表情を浮かべる弟子の頭を撫でた。
「その、土御門家の秘術ってなんですか?最強の術とか、呪符とかなの?」
「‥‥‥修行が終わる頃に君自身が気付くよ。逆に言えば習得出来ぬ者に、土御門の秘密を知る権利などない」
郁章の声が急に温度を下げた。
ごくりと、思わず喉が鳴るような。そんな声。
「それって‥‥知りたきゃ習得しろってこと?」
「理に適っているだろう?」
安倍晴明の世から幾百年経っても、土御門家が陰陽道の主家で居られる最大の秘密。
それを知る者は、即ち、使える者のみ。
古のどの文献にも記されてはいないのだから。
師の話によれば、現在の土御門家では当主と郁章しか知らないらしい。
例え一族であっても、器がなければその存在すら知らぬまま一生を終える───
それは、世に決して漏れぬ様にするには最適なシステムのかもしれない。
頭の中で話を整理していたゆきは、弾かれたように顔を上げた。
(‥‥‥あれ?待って)
思い当たる、一つの疑問。
ここまで気付かなかった自分も凄い、とか同時に思いながら。
「師匠‥なんで私に‥?私、土御門の人間じゃないのに」
‥‥‥胸が、不意にざわめく。
「‥話は終いだ。眼を閉じなさい」
「っ‥‥‥はい」
郁章は答えを与えてくれなかった。
そのことにがっかりする反面、何処かでゆきはホッとしていたのかもしれない。
一体、自分は何処に向かってゆくのだろう。
この治まりそうもない不安を抱いて。
「ただいま、弁慶」
「あぁ、朝緋殿でしたか」
京邸の門から外に足を踏み出した時、何処からか帰ってきた幼馴染みとばったり出会った。
彼女は一瞬驚き、すぐに笑顔を浮かべる。
「あら?軍師様は私を誰と間違えたのかしら?」
「君の想像にお任せしますよ」
微笑に微笑で返す。
すると朝緋はやれやれと肩を竦めた。
それから視線をずらして。
弁慶の外套から覗く手に握られた、小さな籠を見つけたようだ。
「これから出かけるの?」
「ええ。頼まれていた薬を届けに」
「私も手伝いましょうか?」
「気持ちは嬉しいですが。相手は一人じゃない上に、服用法を説明していきたいので。僕一人の方が効率は良いんですよ」
「そう。お気をつけて」
「ありがとうございます」
朝緋もそれ以上は話す事がないのだろう。
弁慶に手を振るとそのまま彼を通り過ぎ、開いた門扉に手を掛けた。
「朝緋」
振り返る事のないまま、朝緋の背中に呼びかける。
「いい加減、君の目的を教えてくれませんか?」
‥‥風が止まった。
それはほんの一瞬。
たおやかな長い髪を揺らして、朝緋がゆっくりと振り返る迄の。
「‥‥‥目的って?貴方に会いに来たの。私の事情を知っているでしょう?」
「ええ」
「だから、貴方に逢わずにはいられなかった‥‥‥好きよ、弁慶」
今も変わらず、彼女の想いが何処を向いているか。
それを知らぬとは言わない。
けれど突然の告白は、僅かに弁慶の眼を翳らせた。
前 次