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‥遠くなる



あなたのことも
私のことも









act16.居待ち月







「こんっな時だけ式を使わないんだから腹立つよね!」



握った箒にぶつぶつと話しかける。
郁章に言いつけられた掃除はとにかく範囲が広大で、ゆきはげんなりした。

それは土御門家の広大な庭。

‥‥庭の一部に存在する、誰がかけたか知らぬ結界のお蔭で、未だにゆきも未知の領域だってある位なのだ。
どこから手をつけていいものやら。



「あ、そっか。私の式を使っちゃダメって言われてないんだった」



式神を出して手伝ってもらえば作業も楽になる。

ふと思いついた考えに満足の笑みを浮かべた。
それから箒を小脇に抱え、手印を結ぼうとしたゆきだったが、手が中途半端に組んだまま止まった。



「‥‥朝緋さん‥‥?」

「こんにちは」



眼を丸くして立ち止まっているゆきに、近付いてきた女は微笑する。



「何だか久し振りね。皆さん寂しがっていたわ。急にいなくなったから」

「あ‥、ごめんなさい」

「こちらこそごめんなさい。私も心配していたからつい、咎める口調になってしまって」

「そ、そんなことないです!心配かけちゃったのは事実だし‥」



申し訳なさそうに笑う朝緋が眩しい。

朔ともまた違う穏やかな美女。
笑うだけで、牡丹や椿の花を思わせるなんてするい。

どちらかと言えば幼いゆきには、手が届かなくて‥‥。



(‥弁慶さんも、朝緋さんみたいな大人っぽい人が似合うよね)



こんな風に考えても、栓がないって分かっているのに。



「‥‥そう言えば、朝緋さんはどうしてこ 「修行が終わるのはいつの予定なの?」



問いかけた言葉を遮られ、逆に問いを投げ掛けられた。



「ええっと‥‥いつ終わるかわかんないです」



うそつき。

本当は知っているくせに。

どうしても今、正直に答えたくなかった。



「‥‥そう。ゆきちゃんが帰ってくるのを皆で待っているわね」

「はい、ありがとうございます」



どうしてなんだろう。優しい言葉のはずなのに。
胸が、苦しい。

取らないで、と叫びそうになっている‥‥。



「じゃぁ、行くわね」



と背を向けた朝緋の手を、ゆきが慌てて掴んだ。



「ゆきちゃん?」

「あのっ、そ、その‥‥‥弁慶さん、は」

「‥‥‥弁慶?彼なら元気よ」

「そう‥‥ですか」



彼女の口から、弁慶の「何」を聞きたかったのだろう‥。

ゆきは内心で苦笑した。



「ふふっ、あなたは優しいのね。彼の事なら心配しないで。私がしっかり見ているから」

「っ!?‥‥‥‥」



思わず俯いたゆき。
耳だけは、遠退く朝緋の足音を捉えていた。





‥‥‥取らないで。




「これが、嫉妬なのかなぁ」



朝緋の気配が消えて、やっと零れたのは自嘲めいたもの。



「‥‥違うのに。だって弁慶さんは私の‥‥」



この先の言葉が言えない。
一度、彼の手を振り切ってしまった自分には、もう資格がないように思えて。


悔しい、苦しい、とられたくない、悲しい、渡したくない、離れないで欲しい‥‥‥


嫉妬と寂しさが胸中をぐるぐる回っている。
こんな気持ち、知らなければ良かった。
知らないまま、素直な恋情だけを抱いて弁慶の傍に居続けていられたら、幸せだったのに。



「私、醜いよね‥」



弁慶の手が自分以外に触れているのが嫌だった。
弁慶の声が、自分以外に特別優しく囁いているのがショックだった。

彼にとって「特別」な存在が自分の他にもいたなんて、どうしても嫌で嫌で。

だから弁慶の手を離してしまった‥‥‥。






『僕も、君との約束だけが心残りでした。ずっと‥‥今でも』




「やだよっ‥‥!」



このまま朝緋の傍に居れば、彼女を恨みそうな自分自身が怖かった。






‥‥‥でも、

逢いたくて仕方ない



「弁慶さん‥‥」



喉の奥が焼けそうなほど、零れ出た彼の名前が愛おしい。


 

 





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