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「ゆき、随分遅かったんですね」
「‥‥‥っ」
門を開けようとした途端に降ってきた声。
ヒノエの事で、頭が何がなんやらぐるぐるしていた状態だったので、正直予想していなかった。
まさか弁慶が門の蔭で、腕を組みながら立っているなんて。
「あの、ただ今帰りました‥‥」
「お帰りなさい。あまりにも遅いので心配していたんですよ。君が無事で良かった」
‥‥‥嘘吐き。
心配、している時間なんて何処にあったと言うつもりなの。
思わず言葉にしかけて、ぐっと口をつぐんだ。
言えない。
言える訳がない。
朝緋を抱き締めていた弁慶に、見ていたと、ショックなんだと言いたいのに。
理由だって聞きたいのに。
(私も同じ事してるんだ‥‥‥)
───あいつなんて辞めてさ、オレの花嫁になるかい、ゆき?
ゆき、お前が好きだよ───
己の身を振り返って、ゆきは俯いた。
例えあれが冗談だったとしても、一瞬だけでもぐらっと揺れたのは、事実。
真面目なゆきは、そうと気付けば弁慶を責める事さえ出来なかった。
「‥‥ちょっと‥‥師匠から、用事を言われて‥」
「郁章殿が?‥‥そうなんですか」
「はい‥‥あ、私、疲れたのでもう寝ますね!」
これ以上いれば泣き出しそうだから、精一杯の空笑顔で弁慶の横を通り過ぎた。
‥‥‥が、当然ながらそんな努力が通じる相手ではない。
即座にがっちりと掴まれた腕に、足は縫い止められた。
刹那、感じる冷たい空気が‥‥怖い。
振り返ることも出来なくて、ゆきは俯いたまま背後からの声を聞いた。
「君を迎えに行ったヒノエは、どうしたんです?」
「それは‥」
「それに、どうして君の髪から‥‥ヒノエの残り香を感じるんですか」
「‥‥っ!!」
ぎり、と腕に痛いほど力が籠もる。
それは弁慶の冷えた怒り。
滅多に怒らない弁慶が怒っているのだ。
普段なら身を竦めるゆきだったが、今日は違った。
涙と一緒に感情が、どうしようもなく湧き上がってしまう。
その激情そのままに、腕を思い切り捻り弁慶の力を受け流す方向に回し、手を解いた。
「私の事なんて放っておいて!!」
「‥‥‥ゆき?」
「弁慶さんは何も分かってない!」
「君が何を言いたいのか分かりませんが、冷静になってはどうですか?怒鳴るなんて子供みたいですよ」
その途端、弁慶は息を呑んだ。
振り向いたゆきの眼から、今にも溢れそうなモノに気付いて。
「そう、だよね」
「ゆき、何が」
「すみません、明日から土御門家に暫く籠もらなきゃならないんです」
「‥え?」
弁慶の言葉を遮り、ゆきは言う。
急な話題の変換に不意を突かれた弁慶に、更に捲くし立てるように早口を紡いだ。
「最近、私の力が暴走気味で。師匠とご当主様がこのままじゃ邸を破壊するから制御する為にって。今日はもう遅いから明日、土御門から正式に式を飛ばしてくれるそうです」
弁慶の顔を見ないように、眼を逸らしたまま。
「と言うわけで、暫く帰ってこれないけど心配しないで下さい!ではっ」
言い切って、ぺこっと一礼して。
その勢いで今度こそ邸の中に足を進めた。
‥‥三歩程進んだ所で、背後から聞こえる溜め息。
「‥‥ゆき。このまま行くことが何を意味しているのか‥‥‥分かっているんですね?」
静かな、静かな声は問い掛けですらなかった。
それはきっと、確認。
このままゆきが邸に入り弁慶を遠避けるのなら、どうなるかなんて。
「‥‥分かっています」
それが限界だったから
ゆきは自室に走った。
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