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最近の郁章はよく外出をしている。
弟子のゆきが邸を訪れても留守が多く、そんな時は書を読んだり、他の一族の者が修行の相手をしてくれた。
そこで改めて知ったことが、ひとつ。
‥‥‥ゆきと郁章が、土御門家の一族や他の弟子に、どう思われているか。
「ゆきの成長には皆驚いたそうだ」
「いきなり何を言ってるんだろ、師匠ってば」
一条大通りに差しかかろうとしたゆきの前に、颯爽と姿を現した。
と、思えば第一声がこの言葉。
ゆきはひたすら呆れた眼差しを投げ掛けた。
「当主がうっかり漏らしていたよ。君に危うく髪を焦がされそうになったとね。私の居ぬ間に一体何をしたんだい?」
当主、というのは郁章の父にあたる。
郁章は正妻が産んだ第二子で、一度だけしか会っていないが跡継者の兄がいる。
正妻は数年前に儚くなった、と郁章本人から聞いていたので、現在の家族といえば父と兄だけらしい。
「何‥‥って昨日のこと?式を自在に操る修行だよ。鳥を出そうとしたら火の鳥が出たの」
実際あの時は焦りまくった。
お気に入りの池の畔で、ゆきお気に入りの式である白い鳥を喚ぶ為に翳した呪符。
そこから、いきなり朱雀に似た火鳥が現れたのだから。
(まさか、そこにご当主様が通りかかるなんて。びっくりしたんだもん!)
挙句「一体何事だ?」と騒ぎを聞きつけた当主に向かって、真っ直ぐに襲い掛かった。
‥‥襲われたのが当主で、と言うより実力ある陰陽師で本当に良かった。
女房達なら一体どんな惨事が生まれたことやら。
「‥‥師匠!笑いすぎ!!」
「‥‥‥っ、ああすまない。あの当主が胆を冷やしたと認めた、と噂の陰陽師が‥‥これではね」
「げっ、噂になって‥‥‥って!!おいこら!『これ』ってなんですか?」
「ん?説明して欲しいのかい?本当に?」
「‥‥いえ、イイデス」
それでも身体をくの字に曲げ爆笑している暢気な師に、ゆきがムッとした。
そして、彼がわざわざ出迎えに来た本音が解ってしまう。
こうして敷地の外で面白おかしく話を聞いて、笑いたかったのだ、彼は。
敷地の結界内でこんな、身内の話をする事はないから。
(‥‥その理由を私が知ってるの、師匠も気付いてると思うけど)
実は土御門に古くから仕える女房から、こっそりと聴いたことがある。
かつて郁章は、生を受けたその瞬間に跡継ぎに決められたのだと。
そして彼自身の外見から、ずっと独りだったと。
数年前に後継の座を兄に譲り渡すという、異例の事態があり、土御門家が揺れたこと‥。
それが理由かは本人同士しか知らないが、郁章は父を「当主」と呼び一定の距離を置く。
当主も郁章を何処かで恐れている。そんな風にゆきには映っていた。
「気をつけなさい。私の居ない所で無闇に力を使わないように」
考え事に耽り始めたゆきには、郁章のこの言葉が遠く。
「‥‥‥なんでですか?」
「ああ、また暴走したいなら構わないが」
では入ろうか。
そう言ってにっこりと笑いながら、郁章は邸の結界を解いた。
弁慶が戻ってきた時、既にゆきは土御門邸に出かけていた。
が、それはいつものこと。
朝会う事がない日は、夕餉で初めて顔を会わせる事など珍しくもない。
ただ‥‥最近余りにも多忙なのだ。
その為弁慶は早朝に出かけなければならない。
一番の癒しである朝の日課が失われて、一週間が経った。
「お帰りなさい」
「ああ、朝緋殿ですか」
出迎えてくれた存在が朝緋と知り、肩を張る。
咄嗟に口を付きそうになった一言に封をした。
それから、呼ばれた名に柔らかな笑みを浮かべる彼女に同じ微笑を返す。
「此処には慣れましたか?」
「ええ、皆さんとても良くして下さるの。貴方の仲間は素敵な方ばかりね」
「そうですか。それは何よりですね」
朝緋の前を通り過ぎる時、ふわりと漂う香に立ち止まった。
「侍従ですか」
「‥え?え、ええ。最近気に入ってるの」
「いい香りですね。とても上質のものでしょう?独特の癖がないので」
「流石は薬師ね、鼻が利くわ。今度一つ差し上げましょうか?」
くすくす笑いながら弁慶と肩を並べて歩き出す朝緋に、歩幅を合わせて邸に入る。
脳裏では、此処に今居ない面影を描いていた。
「是非に、と言うべきですが‥‥‥生憎と彼女は侍従よりも、桜や梅といった花の香が似合うので。すみません」
優しげな微笑みと、同じ様に優しい口調。
けれどもそれを耳にした瞬間、朝緋の顔から表情が消えた。
まさか此処で、「彼女」を引き合いに出すとは想像外だったらしい。
「‥‥‥‥本気?」
何が本気か。
いちいち確認するまでもない。
本気か、と聞いてくるのだから、朝緋は弁慶の答えを知っているのだろう。
その上で問うて来るのだ。
彼女の本心に気付かぬ訳はない。
が、敢えて知らぬ振りをした。
「ええ、勿論」
「‥‥‥幼馴染みなんて不便なものね。昔は誰よりも貴方の傍に居られたのに」
「君からそんな言葉を聞けて光栄なのかもしれませんね。水軍の彼らが聞けば、黙ってないでしょうから」
重石付きで海に沈められるかも知れないな。
とおどけて見せれば漸く朝緋に表情が芽生えた。
「いけないのは誰かしら?弁慶」
「この場合は僕でしょう」
「分かっていればいいの」
他愛のない応酬を繰り広げる。
朝緋が付いて来ているなら、自室には戻らない。
その代わり別の一室を訪れる。
誰かしら居るだろうと思い障子を開ければ、針事の最中の朔と、剣の手入れをしているリズヴァーンの姿。
「お帰りなさい弁慶殿。朝緋殿も座ってください。お茶を淹れるわ」
「朔殿、私も‥‥」
「あら、いいのよ。朝緋殿は客人なんですもの」
一瞬の沈黙の後、弁慶は立ち上がった朔の眼差しを───
無言で受けた。
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