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「俺が‥‥恐いか?」

「‥‥っ」



耳に吹きかけられる吐息。

後頭に回された手は大きく、ゆきが動くことを拒んでいるかのよう。



「恐いなら、殺せばいい‥‥だろう?」

「‥‥‥!?」

「お前の隠し持つ刀を‥‥俺に突き立てろ‥」



(‥‥なにを、言うの)



恐ろしいことを平気で唆すこの男が、さっきと違う意味で恐怖をもたらしている。



「ば、馬鹿なこと言わないで‥っ、ぁっ‥」



ゆきの耳に再び息がかかって、ぞくりと悪寒が走った。



「‥‥‥ほう。殺さなくて、いいのか‥‥?」

「そんなことっ‥‥んっ!!」



そんな事出来る訳がない。
そう返すつもりなのに、それも出来なかった。


唇を塞ぐ生暖かい感触に、眼を見張らせた。

がり、と噛み付かれる様で痛みが走る。
そして口内に広がる鉄の苦味。



「んんーーーっ!!」



必死に首を背けようとしたけれど、
頭を押さえてる手が、それを許さない。
知盛の舌がどんどん侵略してゆく。




(‥‥嫌あっ!!弁慶さんっ!!)




きつく閉じた瞼に薄っすらと流れる雫。

と、その時‥‥‥‥胸に飛来する言葉が、ゆきを我に返らせた。








「君のものだよ。持っていなさい」

「自分の手で断ち切らないといけない縁が、これから訪れてくるよ」









懐に手を伸ばせば、硬く冷たい感触。
師の言葉と同時に託された、古い短刀。



(‥‥断ち切る‥‥‥‥これで、因縁を‥斬、る‥‥!!)



手にした短刀を思い切り突き立てた。





ザシュッと音を立て、肉を斬る嫌な感触を手に覚える。









‥‥――ドクンッ









初めての感覚に、ゆきの鼓動が跳ねた。



「‥‥あ‥‥っ、ゃ‥‥」



知盛の腕に埋まった刀身。



「クッ‥‥」



満足気にこちらを見る知盛の眼が、若干細められている。









初めて生身の人間を斬ってしまった。







その事実が時間の経過と共に、ゆきに突き付けられて。

身体の、否、心の芯から震えが沸き起こった。



「‥‥い、ゃ‥」




それも恐怖と呼ぶのだろう。



意図して他人を傷付けた、自分への。

気付けばゆきの唇は謝罪を紡いでいた。



「‥‥‥っ、‥ご‥‥めんなさ‥‥‥」

「‥‥‥」



知盛はそんなゆきを嘲笑うかの如く、唇端を持ち上げる。


彼女の様子が雄弁に物語る。

先刻の強い眼とは正反対の、涙滲むそれ。
震える唇は音もない声を紡ごうとする。
明らかに、今まで人を斬ったことのない反応。




「面白い‥‥」




呟いて、刺さった刀を掴む。

ぐいっと引き抜く最中にでも、痛みを一切見せぬ。

まるで、刺さっているのが刃でなく、小さな針の様に。


抜き終わった肩口から、真紅が溢れ出して来るのをゆきは見てしまった。


涙が滲む。






ぺろり。
知盛は短刀に付着した血を舐め取った。
赤い舌に紅が附着し、笑みを妖艶な物に変える。

いつの間にか知盛の刀は降ろされていたけれど、気付かなかった。



力なく座り込んだままのゆきに再び手を伸ばす。

が、当のゆきは怯えた視線を向けるだけ。



「‥‥‥ぁ」

「クッ‥‥‥成る程、な。あいつが隠そうとするのも‥‥頷ける」




あいつ、とは誰のことか。
聞くことも思いつかない。








「来い‥‥」

「‥‥何、」







「‥‥俺の所に、来い‥‥ゆき」









この瞬間熱いものが、ゆきの堰を切った。



「‥嫌だよ!!」

「ゆき!!」

「‥‥‥え?」







草を分けて現れたのは、黒い影。

否、影に見えたのは外套の色。




「弁慶さん!!」






  


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