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「そろそろ帰っていい?」
「ああ。今日は迎えの人は居ないのかい?」
「うん。その代わり、今日は暗くなる前に帰るって約束したから、朔と」
「景時殿の妹君と?それは約束を破らせる訳には行かない。怒らせるとなかなかに迫力があると、景時殿から聞いているしね」
(景時さん‥‥)
ちょっとだけ、想像してしまった。
苦笑を浮かべながら、景時が郁章に「うちの朔は怒らせると怖くてさ〜」なんて情けない声で言っているのを。
笑いそうになったけど、一応朔の名誉の為に口を開く。
「そりゃ確かに、朔は怒るとちょっぴり怖いけど、普段はすーっごく優しいんだから。それにすーっごく美人だよ」
「ああ、それも聞いているよ。穏やかな美女だとね」
美人、と聞いて郁章の眉が少しだけ上がった。
食いついてくるのかと、ゆきは少し呆れた。
けれど当の本人は弟子を前にして、流石にきりりとするつもりらしい。
「‥‥‥師匠の女好き」
ぼそりと呟いた言葉はしっかり拾われた。
盛大に噴出す師に、ゆきはなんだかからかわれた気がして、頬が膨れて。
ふと、彼の深い青の双眸を見た。
浮かぶ理知的な眼差しに何となく思う。
彼の日頃の遊び人的な行動は、本当は違っているのかも、と。
それは、何かをカモフラージュするためのもので。
敢えて、その様なふざけた行動をして、世間を欺いているのではないかと。
‥‥‥そう、まるでそれは、普段は封印している彼の力のよう。
右眼に封印を施して本来の力を隠すように。
『突出した力の無い不真面目な二男』だと、世間に思わせる事が目的なのでは‥と。
「‥‥‥なことないか」
「うん?」
「ううん。じゃ、本日もありがとうございました師匠!」
ぶんぶんと首を振る。
元気よくお辞儀をして門を出る弟子の背を、郁章はじっと見送った。
こんなに早く土御門邸を出るのは久々だった。
何となく気分も浮かれてくる。
ゆきは、これまた久々の市を訪れることにした。
「そういや最後に市に出かけたのって、奥州に行く前だったかな」
一冬のほとんどを雪国で過ごした。
京に戻ってからも、土御門邸との往復ばかりで。
そんなゆきだから、人混みが恋しくなっても仕方ないのかもしれない。
「そろそろ春柄の着物なんて出てるかなっ。冬物バーゲンとかあったら嬉しいのになぁ」
流石にこの時代には、そんなものはないけれど。
それでも嬉しくなる。
鼻歌交じりに半ばスキップなんてしながら、市への道程を埋めた。
「‥‥帰りに六条のお邸に寄ったら遅くなっちゃうかな」
朔との約束は守りたい。
けれど、今日は自分が迎えに行きたいと思った。
いつもは自分を迎えに来てくれる弁慶を。
きっとびっくりして、その後嬉しそうに笑ってくれる。
そんな彼に‥‥‥自分もまた嬉しくなるから。
(弁慶さんの本当に嬉しそうな顔って、何だか可愛いもんね)
なんて思う自分は、相当弁慶が好きで好きで仕方ないらしい。
結局のところ、どんな表情でも
彼のもたらすものならドキドキせずにいられないから。
一条大通りに建つ土御門家から、六条へは結構遠い。
真面目に足を運んでも、ゆきは女の身。
そんなに速く歩けなくて。
やっと目的地に辿り着いたのは、ほんのり夕焼けに染まりそうな空の下。
「‥‥‥ふぅ」
歩き続けた証拠に滲んだ額の汗。
立ち止まって拭いながら、やっと着いた市の入り口にあるものに眼が行ってしまった。
ゆきの大好物の、いい匂いがする店。
迷うことなくお店の人に話しかけた。
「お団子一本下さい。それ、そのあんこ一杯のやつ」
「これだね?はいよっ、お嬢さん」
「ありがと!」
にこにこしながら受け取って、店を離れた。
歩いて歩いてすっかり空いてしまったお腹は、思い切り音を立てる。
「こっ‥‥‥!!これは!?」
一口頬張って、ゆきは固まった。
「まったりとしてしつこくなく、そして甘すぎず、いや甘い?あれどっち?‥‥と、とにかくジューシーで微妙なコクがある!!」
思わず意味も無い感想を並べ立てて、はぁ〜、と深い溜め息を吐く。
「‥‥は、恥ずかしいからやめよ」
大きな独り言って何だか間抜けだ。
段々と恥ずかしさが募る。
(あああ私ってば何で一人なのを忘れて‥!!)
気持ちが一杯一杯になりその場にいられなくなって、
ダッシュで走り出した。
‥‥‥‥市を通り抜けたと気付くまで。
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