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時を遡って少し前。
「‥‥来た!」
「ゆき?」
ぽつぽつと話しながら静寂に包まれつつあったこの場にあって、突然大きな声を上げたのはゆき。
すっくと立ち上がって、敦盛に視線を落とす。
「泰衡さんが来たから、シメてくるね」
何やらとんでもなく物騒な言葉を吐いて、にっこりと笑う。
そんなゆきに先程までの儚げな様子は見受けられなくて。
いつもの明るさを取り戻しているから、敦盛は安堵した。
「泰衡殿は簡単に絞められないと思うが」
「うっ、結構ずばっと言うね敦盛くん」
「す、すまない」
「まあ、勝てないのは本当のことなんだけどね」
あはは、と苦笑したゆきは立ち上がった敦盛と肩を並べて、歩き出した。
「本当は泰衡さんが、弁慶さんへの誤解を解いてくれたらそれだけでいいんだよ」
‥‥‥他の者が聞いても、弁慶への惚気だと受け取るのだろうか。
敦盛が吐いた溜め息に、ゆきは気付かない。
「誰だと思えば、先日の不躾な娘か」
「あ、あのねっ!私にはゆきという名があるんです!て言うか勝負してよね」
「‥‥‥」
「何とか言いなさいってば!」
がうがうと噛み付くのに、仏頂面の男は眉一つ崩さずに見下してくださる。
これでは自分が酷く滑稽に見えてしまう。
ゆきは、微妙に傷付いた胸を押さえた。
前にそびえる二人の長身の隙間からこっそりと、
室内を伺う。
(‥‥‥うっ!)
呆気にとられていたり、俯いていたり‥‥‥微妙な空気に更に少し傷付いてしまった。
「‥‥勝負?何の必要がある」
「弁慶さんを悪く言ったでしょ?撤回してよ」
「何?」
「‥‥ゆきさん?」
ぴくり、と眉間の皺が増えた泰衡。
そんな主から彼女を隠そうと、銀はそっと移動した。
だが当の本人は、庇われたことすら気付かない。
「『弁慶殿の趣味はその程度か』って鼻で笑ったよね?いけないのは私だったのに、弁慶さんを貶すあなたを許せないから」
「‥‥‥」
泰衡には到底理解できぬ理由で、「陰陽術に精通しているんだってね」と札を構え始める女。
よく見ればその呪符は、とんでもない代物だった。
「女、それから呪言を唱えれば、高館など吹き飛ぶ事も気付かないのか?」
「なっ‥‥おい!ゆき!」
九郎の焦った声音が背後から聞こえる。
ならば彼らも、この娘の持つ札の意味を知らぬらしい。
誰が描いたか知らぬが、強力な呪符。
「大丈夫だよ。結界も張ればいいんだし」
「‥‥何?」
ぐっと睨みつけてくるゆきの気が、変わった。
‥‥燻る紅い炎。
誰一人、言葉を発することが出来なくなる。
「ゆき。もういいですから」
「弁慶さん?」
割り込む穏やかな声と、彼女に回される腕。
それがなければ一触即発の状態は続いただろう。
「‥‥そっか。ゆきちゃんは陰陽師だったね」
「俺もつい、忘れるところでした」
ほっとしてぼんやりと呟いてしまう望美と譲。
平和な日々に、忘れがちでいた。
意識を研ぎ澄ませたゆきは、ある種のトランス状態に入るのだと。
そして、修行を怠ってはいないゆき。
茶吉尼天と対峙したあの日より成長していてもおかしくはない。
「‥‥‥いいんですよ、ゆき。本当は君もこんな意味の無いことをしたくはないでしょう?」
図星を突かれた。
そんな顔を皆に見られたくなくて、ゆきは弁慶の胸に頬を摺り寄せる。
「‥‥‥でもっ、私の事で弁慶さんが‥っ」
「君が僕の為に頑張ってくれるのは嬉しいですが、これ以上は止めてください」
「だって‥‥‥!」
尚も言い募ろうとしたゆきを、弁慶は更にぎゅぅと抱き締めた。
耳元に唇を寄せて。
腕の中の存在のみに聞こえるよう、小声で囁いた。
「これ以上君が泰衡殿の事に囚われていては、僕がもっと嫉妬してしまうんですよ」
「‥‥‥っ!意味が、違うのに」
「それでも。他の男の‥‥いえ、他の人の事で思いつめる君を、見たくはない」
だから、最近ずっと距離があったのだと
そう認めているのも同然な言葉。
黙りこくったゆきの、耳が熱い赤に染まっている。
弁慶はくすりと笑う。
それから、相変わらず憮然としている知己を見遣った。
「そう言う訳で泰衡殿、彼女はお咎めなしでお願いしますね」
「‥‥そんな女など知らぬ。どうにでもすれば良いだろう」
「ふふっ、ありがとうございます」
冷たい銀の視線には敢えて無視をして、
弁慶は優雅に笑った。
その後、何事もなく一同は座り、京への復路に使う雪の少ないルートについて話を始めた。
釈然としないながらもゆきは、どこかでホッとしていた。
そして、弁慶が止めてくれると信じていたことに気付く。
(私って本当に甘えてるな)
泰衡にはまだ腹が立つけど。それよりも。
(‥‥‥私は、私に一番腹を立てているんだよね)
このままではきっと、いけない気がする。
漠然と持つ危機感に首を傾げたゆきは、じっとこちらを見詰める白龍に、やっと気付いた。
「どうしたの?」
「なんでも、ないよ」
ならば何故、そんな不安そうにしているのだろうか。
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