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かさり、と落ち葉を踏む音がした。
「ここは随分と冷えますね」
背後から降る声に、樹に凭れ座っていた望美は盛大な溜め息を吐いた。
「弁慶さん。やっぱり来たんですか」
「ええ。病み上がりの彼女を迎えに来るのは当然でしょう」
「そう‥‥ですね」
(高館で待っていてくれたらよかったのに)
そうは思うが、人一倍頭も勘もいいこの男の事だ。
既に何かを感じ取っているから、やって来たに違いない‥‥‥しかも、単身で。
諦めの境地でゆっくりと振り返る。
「望美さん、ゆきは何処ですか?」
「‥‥‥まだ落ち葉を拾ってます」
「そうですか」
言える訳がない。
重衡とゆきを会わせていると。
自分ですら、あの二人が旧知の仲だと知ったのは、昨日だったのだから。
重衡本人の口からそう聞いた時は驚いたのだ。
将臣と三人で、時には二人で、重衡とゆきが会っていたなんて。
その事実を知るはずもない弁慶には、何も言うつもりはなかった。
‥‥スッと冷えた、弁慶の眼差し。
嘘だと瞬時に見抜かれる事なんて、想定内だけど。
かつてはゆきを取り戻すために、共に時空を超えた「同士」。
互いに信頼の絆で強く結びついたと思った時すらあったのに。
‥‥今、交わす視線は当時の欠片すらない。
「‥‥‥君が何を考えて彼に会わせたのか聞きたい処ですが、今は彼女を連れ戻すほうが先でしょうね」
「‥‥え?」
望美の口が驚きに開かれる。
『何を考えて彼に会わせたのか』
と言う事は‥‥
(知っている?ゆきちゃんが言ったのかな)
「君は見張り番だとするなら、あちらにいるんですか」
「え?ちょっと!待って!」
何とかして、弁慶の足を止めなきゃ。
慌てて立ち上がると、歩みだした弁慶の正面に躍り出ようとした。
その望美自身の足がぴたっと止まったのは、眼の先の茂みがガサガサと音を立てて揺れ出したから。
(まさか、怨霊‥?)
油断なく腰を低くして、腰に手を掛ける。
今でもそこにある剣の存在が望美を勇気付けた。
前に立つ弁慶も、背に括りつけた長刀をすらりと抜く。
秘められた殺気に気付いたかのように、茂木を割ってようやく姿を現したのは、今しがた話題となっていた人物だった。
「ゆきちゃん!?」
「‥‥‥‥」
弁慶の眼が険しくなる。
ゆきは一人でなく、更には意識がなく眠っていたから。
銀色の青年に抱えられて。
「何があったの、銀!?」
「それが‥‥私にも良く分かりません」
銀。確か平泉でそう呼ばれている。
けれど弁慶は、彼の真の名を知っていた。
そして、彼が抱えている少女に、好意を持っていたことも。
「頭が痛いと仰られて、すぐに意識を閉ざされたのです」
「頭?どうしたんだろ、ゆきちゃん」
ゆきに全意識が向いた望美はともかく、この男はどうやら弁慶の存在をしっかり意識しているようだ。
心配そうにゆきを気遣う眼差し。
それを表情を変えずに見ながら、弁慶は数歩前に進んだ。
「後は僕に任せてくれませんか?重衡殿」
重衡
弁慶が呼んだ名に、望美は再び驚いた。
何故なら、弁慶の前ではその名を使っていないのだ。
平泉に着いて、最初に御館と泰衡に挨拶した時に、「不自由のなきように」と望美達の世話役に紹介されたのは『銀』。
「何故、私の名を‥‥‥ああ」
青年も疑問に思い、けれどすぐに思い出したようだ。
「随分前に神泉苑でお会いいたしましたか‥‥‥貴方があの時の」
「ええ。ですが始めまして、とご挨拶すべきでしょうね。僕は武蔵坊弁慶です」
「‥‥貴方が弁慶殿ですか。ゆきさんに以前お伺いしております。有能な薬師の方だと」
にこにこと笑っている。
背中しか見えない弁慶も今、重衡とおんなじ表情なはず。
‥‥が、空気が先程より重い。
更に言えば気温も確実に下がりまくっている。
(もう‥‥怖いんですけど)
蚊帳の外に置かれた望美は身が縮む心地がした。
それでも眼は、弁慶が重衡の腕からゆきを受け取るのを追っている。
その時ふと、背を向けている弁慶を挟んで、重衡と眼が合った。
よっぽど怯えた顔をしていたのだろう。
望美に、安心させるように‥‥‥笑いかけた。
「心配の必要はございません。薬師の方に診て頂ければ、ゆきさんの具合も良くなるでしょうから」
(そっちの心配じゃなくて‥‥!!)
「ふふっ、銀殿。彼女に必要なのは薬師の治療だけではなく、休息なんです。まだ熱が下がり切っていないのに‥‥」
「それは申し訳ございません。彼女の体調を気遣ってはいたのですが」
「いえ、悪いのは無茶をしたゆき自身ですよ。好奇心旺盛な恋人を持つと、苦労しますね」
「‥‥恋人、ですか。貴方が‥‥?」
「‥‥‥‥ええ。僕達は愛し合っているんですよ」
重衡の眼が顰められているのを、望美はただ見ていた。
「遅くなりましたね。帰りましょうか‥‥‥望美さん、君も」
「は、はいっ!!銀はどうする?」
「私は泰衡様に呼ばれておりますので」
「わかった。また明日ね」
「はい。望美さん‥‥いえ、神子様。感謝いたします」
背後に向けられる重圧。
怒っている。弁慶はとんでもなく怒っているに違いない。
ゆきを抱いたまま高館に足を向ける弁慶は、この後一度も振り返らなかった。
(ごめんなさい、弁慶さん)
背中に向けて頭を下げた。
それは、また秘密を作ったことへの‥‥‥謝罪。
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