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「あ、なるほど!脅されたんじゃなくて、姫君の花の笑顔の為ってやつだね」

「そういうこと」



確かに、とゆきは激しく納得した。
熊野の男は、女性の頼みなら喜んで動く処がある。

ヒノエといいそして弁慶といい、利害に反さない程度ならば。
もっとも、「利害に反さない」といった所が曲者なんだと、今のゆきにはよく分かる。



「ヒノエくん、ありがとっ!」

「そっかあ。望美ちゃんに頼まれたら嫌っていえないね」

「ふふっ、お前のお願いでも何でも聞いてやるぜ?ゆき」

「「寒っ」」



重なった二人の声。
思わず三人眼を見合わせて‥‥‥吹き出した。



「じゃ、オレはヤボ用があるんでね。後は姫君達の囁きで紅葉を染めてあげなよ」

「ありがとう!」



ヒノエの前では用件を告げられない。
そう気付いた彼は、気を利かせたのだろう。
望美がその意味も込め礼を述べると、立ち去る背中越しにヒノエが小さく笑った。



「ところで望美ちゃん、どうしたの?そんなに息を切らして」

「あ、うん。弁慶さんと九郎さんが伽羅御所に行ってる間にね、ちょっと会わせたい人が‥‥‥‥あ」



見送ったのは僅かな間。
その後にゆきが問えば望美が答えて、「しまった」と呟く。



「必死に走ってきたから置いてきちゃった」

「ええっ?望美ちゃんは速いんだからダメだよ。誰かわかんないけど困ってるんじゃないの?」

「あ〜‥‥うん、大丈夫!場所は知ってるからゆっくり歩いて来るんじゃないかな。銀の時じゃないんだし」

「しろがね?‥‥‥東京の?」




(そうだ、ゆきちゃんは「銀」に会った事、ないんだった)


過去に平泉に落ち延びた運命もあった。
けれど、その時あの時空には「元宮ゆき」は存在していなかったから。




「東京の白金じゃないよ。きっとゆきちゃんも会いたい人だよ」




笑いながら胸に浮かぶは‥‥‥罪悪感。

望美の背後でかさり、と音がしたのはその時のこと。




‥‥‥これ以上何も言わなくて済む、と

驚愕に限界まで開かれる栗色の瞳を見つめながら、望美はホッとした。




「すみません、先にゆきちゃんの足を止めたくて」

「いいえ。お気になさらず」


「‥‥‥うそ」



望美の後ろ、木立の間。
最初に見えたのはきらりと光る銀だった。


望美の「会わせたい人」とは誰だろう?
そう考えた直後だったから、言葉が見つからなくて‥‥‥。
淡いエメラルドグリーンのような服は、見たことのない作りのもので。
見慣れた姿なんかじゃない。



「お久しぶりですね、ゆきさん」



それでも‥‥穏やかな笑顔は記憶にあるままだった。



「重衡さん、生きてた‥‥‥」

「‥‥ええ。訳あって平泉に流れ着いた私を、こちらの総領が拾って下さったのです」

「‥‥こんなとこまで、一人で来たの‥‥?寂しくなかったの?」



最後に会ったのは三草山だった。
あの時の決意の眼差しを、ゆきは今でも覚えている。
そう、あれは覚悟した者が持つ、潔さ。



‥‥‥死を。



一度はゆきも同じ覚悟を持ったから、よく分かる。


あの時、自分は止められなかった。

行かせてしまった。
自分でも気付かなかった想い所以で、踏み止まってしまった。

そしてその後、将臣から聞いた。
目の前の青年の消息が、途絶えたと‥‥‥。



「‥‥‥大丈夫ですよ」



銀の髪の青年は、泣きそうな表情のゆきを見て紫の眼を緩ませた。
安心させたくて。



記憶を奪われていたことや、主の泰衡に新しい名を与えられたこと、彼に仕えていること、
そして清らかな神子である望美の手によって、記憶が戻ったのはつい昨日のこと。

‥‥そんな説明をするのは、今は止そうと思った。





「ご心配をお掛けしたのですね。十六夜の君‥‥望美さんが、貴女も此処に居ると教えてくださって」

「ゆきちゃんは高館に着いてすぐに倒れてね、弁慶さんが部屋まで運んだの。迎えに来た銀‥じゃなくて重衡さんとは入れ違いになったんだよ」








一年以上の時を経て、彼の眼に映るゆき。

記憶にあるよりずっと、ずっと大人になっていた。







「ゆきさん」

「‥‥‥え、えええっ!?」




この感覚は嫌というほど知っている。


腰に回された腕も、頭を抱えるもう一方の腕も。
そして視界が遮られて、肩口に感じる息遣い。

それは毎朝毎夜与えられているものだから。
けれどそれは、愛しい弁慶から与えられる抱擁で‥‥‥。














重衡じゃ、ない。















「ちょ、重衡さん!?離して」

「‥‥忘れてしまわれたのですか?三草山での言の葉を」

「三草山‥‥‥」




ゆきの力では足掻いても、抱きしめる腕は離れない。




『それでも、私は‥‥‥!』

『ゆきさん、貴女が好きでした』







「‥‥‥あの言葉は今も、この胸に」



重衡の声があまりにも切なく耳に触れるから。

ゆきは、どうしていいのか分からなくなった。




いつの間にか望美の姿がないことにも‥‥‥気付かないままに。






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