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「ね、敦盛くん。平家に私が行っていいの?」
「ああ、構わない」
「でも‥‥‥」
敦盛の半歩後ろを歩くゆきの声が頼りなく消えた。
和議から半年。
源氏と平家は、平衡を保っていた。
もちろん、互いに対する積年の恨みが消えた訳ではない。
それ故、御家人同士による小競り合いなどは今でも時々起こっている。
けれど院宣のもと、源氏の棟梁と平家の還内府がそれぞれ「争事御法度」を固く言い渡している。
だから、特に目立った争いはなかった。
‥‥‥やっと、訪れた平穏。
だからこそ、完全な「源氏方」のゆきが訪れることで、平家の人達を刺激したくはなかった。
‥‥‥最近のゆきは、とある事で有名人になっている‥‥らしいから。
「心配要らない。それに、何かあれば‥‥私がゆきを守るから」
「えっ‥‥」
戸惑いもあらわに敦盛をちらっと見る。
彼の横顔がどこか思い詰めていて‥‥ゆきの胸が、音を立てた。
六波羅に昔あったという平家の邸は、今は建て直されていた。
削りたての材木の香り。
邸の周りを覆う、見事な紅葉の香りと相まっている。
「よっ!久しぶりだな!元気にしてたか?」
「将臣くん、久しぶりだね!‥‥経正さんも、こんにちは」
「こんにちは、ゆきさん」
「悪ぃな、こんなとこまで呼びつけてよ」
ゆきと敦盛を出迎えたのは将臣と経正。
敦盛を迎えに遣らせたのも彼らだった。
「ううん。弁慶さんも許可してくれたし」
「は?あいつが?‥‥‥許すなんて有り得ねぇと思ってたけどな」
「?何で?ちゃんと言えば弁慶さんは分かってくれるよ?」
「‥‥‥‥相変わらずだな、お前」
全く意味の分かってないゆきに、将臣は嘆息する。
他の‥‥しかも、彼女に好意を持つ男の元に、敦盛付きとは言え自分の女を遊びに行かせる。
あの男がそんな広い了見を持っているとは思えなかった。
何か裏があるに違いない、弁慶を良く知る人物ならつい思ってしまう。
もっとも当の本人は、将臣の気持ちや、男の独占欲など全く気付いてないらしいが。
「ま、そんなとこがお前らしいか」
「あ〜、なんか今バカにしたでしょ!?」
「ははっ、気のせいじゃねぇの?」
思わず噴き出しながら敦盛達を見る。
兄弟は兄弟で何やらほのぼのと話し込んでいた。
二人を将臣の室に招き入れ、女房に茶と菓子を持って来させた。
「豆大福美味しいね、敦盛くん!」
「ああ」
高杯に山積みだった豆大福のほとんどを腹に収め、ゆきが茶をすするまで、さほど時間が経っていない。
(昔から甘いもんばっかりよく食べる奴だったよな)
将臣は懐かしさに眼を細めた。
将臣と経正の用件は、一つの事前報告。
「‥‥平泉?」
「ええ。一時はどうなることかと思っていましたが、源氏との仲もかなり平定してきたことですから」
(どこかで聞いた地名だな)
そう思ったゆきは、それが何故かすぐに思い当たった。
確か、ヒノエの口から、和議の日に聞いたはず。
「まさか‥‥重衡さんに会いにっ!?」
「ま、そう言うこと。あいつが元気ならそれでいいじゃねぇか、とも思ったけどな」
「折角ですから平泉を見たい、と思いまして」
「そっかあ‥‥‥重衡さん、元気にしてるかな」
「案外、世帯持ってたりしてな」
「うわあ!!子沢山な重衡パパだったら凄いね!!」
きらきらと眼を輝かせて身を乗り出すゆき。
‥‥‥三人でよく逢っていた頃の重衡が聞けばどう思うだろうか。
将臣は密かに、重衡に同情してしまった。
「将臣殿。私とゆきに用事とは何だろうか。留守ならば私が居ずとも、知盛殿が居られるが‥‥」
「‥‥‥知盛‥‥?」
「ゆき?どうかしたのか?」
小さい呟きに震えが混ざっている気がして、敦盛は声の主を振り返った。
正座している自らの膝を、ぎゅっと握って俯いているゆき。
まるで怯えているようで、でもそんな要素がどこにあるのか分からなかった。
「‥‥あ、何もないよ!ちょっと食べ過ぎちゃった」
「ちょっとどころじゃねぇだろ。お前はいつも食べ過ぎだ」
「そんな事ないもん!」
「‥‥‥いや、話が‥‥」
ゆきに「食べ過ぎ」は禁句。
将臣に注意しようとした敦盛は、既に手遅れだと悟った。
このままではゆきと将臣がどんどん暴走して行く。
‥‥‥一体いつになれば本題が始まるのやら。
ふぅ、と息を吐いた敦盛が視線に気付いたのはこのすぐ後。
「兄上‥?」
「源氏方ではいつもこんなに賑やかなのかい?」
「ああ‥‥‥いや、この倍は」
梶原家での日常は、とりわけ夕食時は、それはそれは見事に喧しい。
各々がその日の出来事を語りだし、それに茶々を入れる者、怒る九郎、笑う者、更に憮然とする九郎、そして九郎をからかう人物‥‥‥
騒々しい。
けれども、とても暖かい日々。
敦盛の頬に微笑が滲んだ。
「‥‥‥そうか。敦盛は今、満たされているのだね」
柔らかく、どこか寂しげに、兄もまた微笑していた。
結局、将臣の
「お前たちも来ないか?平泉に」
という本題を聞くまで、随分と遠回りをしてしまった。
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