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「‥‥‥頭、痛い」
褥に半身を起こしてみれば、がんがんと頭の中で鐘が鳴るような激しい痛み。
そんな痛みに耐えかねてゆきは固く眼を閉じた。
(風邪でも引いたのかな‥‥弁慶さんに診て貰ったほうがいいよね)
は〜‥‥と深い溜め息を吐く。
またあの苦い薬を飲むのかと思えば、かなり憂鬱だった。
何度飲んでもあの味だけは慣れない。
(どうにかしてやり過ごせたらな。弁慶さん相手には不可能だけど)
どんなに平気な素振りを見せたところで、あの目ざとい薬師には一発で見抜かれる。
そしてお仕置きと言わんばかりに「特別に」苦い薬を、爽やかな笑顔付きで手渡されるのがオチだろう。
仕方ない、と起き上がろうとした時だった。
ふとこちらに近付く気を感じたのは。
それは、ゆきの部屋に来るには珍しい人物のもの。
思わず眼を見張ってしまう。
「‥‥ゆき、起きているだろうか‥?」
「敦盛くん?まだ着替えてないから待ってくれる?」
「あ、ああ」
余り待たせては申し訳ないと、ゆきは急いで夜着を脱ぎ捨て着替えると、夜具を隅に押し遣った。
(あれ?もう頭が痛くないや)
‥‥‥訪れた時と同様、急速に引いた頭痛。
治まってくれた事はありがたい。
薬を飲まなくて良いから。
弁慶に診せる、と言う考えはこの時点ですっかり忘れ果てた。
「お待たせ!もういいよ」
「‥では、失礼する」
足音を立てずに室内を歩き、ゆきの前に座る。
敦盛はゆきの眼を見ると口を開こうとして、一旦閉じた。
「敦盛くん?」
「あ、いや‥‥‥‥‥早朝から訪れてしまって、すまない」
「ううん、起きてたから大丈夫だよ。でもどうしたの?」
「ああ‥」
「‥‥何か、あったの?」
じぃっと、心配そうに敦盛を覗き込むゆきに視線を合わせられなかった。
彼女に伝えていいものか。
昨夜は散々思案して、やっと決意して、今に至ると言うのに。
「敦盛くん、大丈夫?」
「‥‥‥あっ、ああ」
敦盛はゆきに気付かれぬ程度の深呼吸をして、口を開いた。
「ゆき。実は‥‥‥」
一瞬、ゆきの動きを奪う、驚きの言葉。
act2.空を見上げれば
「‥‥‥ゆき」
背後に立ち、早い夕食の完成を待っていた小さな龍神が顔を上げた。
「白龍。元宮なら朝から出かけているけど」
トントンと小気味良い音を立てる。
譲は葱を刻む手を休める事なく、眼差しだけ振り向いた。
「ええ。ゆきは用事があるからと言って出かけたわ」
こちらも手際よく米を研ぎながら朔が眼を向ける。
‥‥‥ゆきは朝食後、敦盛と出掛ける旨を、弁慶に告げていたのだから。
あれから帰って来た様子はない。
「確か、六波羅に行くと行っていたけれど」
「そう。でも、たった今、ゆきの気が近くにあったよ」
「近く?この邸の中か?」
「うん」
「‥‥なら、あの子はもう帰って来たのかしら?」
「でも一瞬だけ。すぐに消えた」
一瞬だけ現われて消えた、ゆきの気配。
白龍の言葉は分かる。
なのに、意味が分からなかった。
「気のせいかもしれないな」
「何が気のせいなんだい?」
譲の曖昧な呟きに返すのは、背後から姿を見せた少年。
紅い髪と眼が、薄暗い厨でもきらりと輝きを放つ。
「あらヒノエ殿。お久し振りね」
「やぁ、朔ちゃん。俺がいなくて寂しい思いをさせたかい?」
「ヒノエ、何しに来たんだよ?」
「ちょっとね、野暮用ってとこ」
どうでもいいと言うように肩を竦める少年は、厨をぐるりと見回す。
そんな様を黙って見ていた朔が微笑した。
「懐かしいかしら?」
「どうかな」
‥‥‥和議以来、半年振りに熊野から京に出てきた。
たった半年。けれど妙に懐かしいと思うほどに、ヒノエにとって此処は馴染んだ場所となっていたということ。
一月ほど前に、叔父に烏を通して京に来る旨は伝えている。
景時や朔への伝言も頼んでおいた。
暫く滞在することも含めて。
それでも一抹の不安を覚えて、ヒノエは確認も兼ねて朔に挨拶した。
「暫く梶原家に厄介になるつもりだけど、よろしく頼むよ、朔ちゃん」
「ええ、もちろん構わないわ。でも、部屋を掃除しないと‥‥‥ごめんなさいね、突然だったから何も用意できなくて」
「‥‥‥‥やっぱりそう来たか‥」
ヒノエの盛大な舌打ちの対象は、此処にはいない血縁の男
わざとだ。わざと伝えなかったに違いない。
どんな形で訪問しても、梶原兄妹がヒノエを歓迎しない訳がない。
そうと知っていながら伝言を無視した理由は‥‥‥。
ただの嫌がらせか。
それとも、ヒノエの用件を知っての上か。
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