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「べんっ‥‥‥‥‥あれ?」

「あれとは何だ。失礼な奴だな」



お迎えだと聞いて、思い描いた人物とは違った。

間の抜けた言葉に少しだけ苦笑している彼は、立ち上がるとゆきの腕を掴んだ。


「帰るぞ」

「え?‥‥あ、うん。九郎さん、どうしてここに?」

「もう日暮れだからと頼まれてな。あいつに」

「あいつ?」



分からなくて首を傾げる。

そんなゆきに眼を細めた九郎は、空いた手で彼女の頭を撫でた。


「弁慶は兄上からの使いの者と話があるらしくてな。お前を連れて景時の邸に帰ってくれ、と言われたんだ」

「ふ〜ん‥‥‥そうなんだ。九郎さんはいいの?」



頼朝を誰よりも崇拝している九郎が、弁慶に使者を任せて大人しく帰るなど珍しい。
ゆきが意外そうに眼を見張らせる。
それを見て九郎は若干拗ねた表情を浮かべた。


「‥‥‥俺がいると話にならない、と追い出されたからな」

「‥‥ぷっ」

「笑うな」

「だって拗ねてて可愛いから」

「‥‥!お前はっ」



頭に乗せたままの手で乱暴に髪を掻き回す。



「いっ!痛い痛い!!」

「大人をからかうんじゃない。馬鹿」

「‥‥‥‥‥大人?誰が」



クスクス笑うゆきはここ暫くでめっきりと綺麗になった。

‥‥それが「誰の」影響か、聞くまでもないだけに九郎は溜め息を吐く。



「いつまで笑っているんだ。行くぞ、遅くなって怒らせるのは御免だからな」

「は〜い」





『彼女を迎えに行ってあげてくれませんか?‥‥君なら安心ですし。でも、手出し無用ですからね』


弁慶が頼んで来た時の言葉をゆきに伝えれば、真っ赤になりながら喜ぶだろう。



そう思ったが、いつまでも笑う彼女を見てその気が失せた。








夕暮れは厚い雲に隠れて、茜色の空を見せてくれなかった。


「暗くなったね」

「ああ。じきに一雨来そうだな」


二人で頷くうちに、それは夕立となって肩や頭を打ち付け始めた。


「ゆき、走れるか?」

「うん!」


九郎からすればのんびりしたものでも、ゆきには全力疾走。


転びそうになっていたから思わず手を引く。

繋いだままの手は、京邸に着くまで離れることはなかった。










ゆきの養兄と養姉のいる梶原家。

すっかり水浸しで息がぜーぜーと言っている娘と、
濡れているものの平然としている青年の姿が玄関で見受けられた。






「お帰りなさい。九郎殿、ゆき‥‥‥まぁ、びしょ濡れじゃない!」

「‥‥た、だいま朔ぅ‥」

「朔殿、景時は何処にいる?」

「兄上なら庭で洗濯物を取り込んでいるけれど‥‥」

「そうか。すまんが朔殿、こいつを頼む」

「え?ええ‥‥九郎殿、これを」

「ああ、すまない」



京邸の門をくぐった時に、丁度拭布の用意をしていた朔が出迎えてくれた。

景時の居場所を聞いた九郎は、朔が慌てて差し出す布を手に、景時のいる庭へと向かって足早に歩いていく。

残されたゆきと朔は同時に溜め息を吐いた。


「九郎さんもああ見えてせっかちだよね」

「何かと忙しい方だもの、しかたないわ‥‥‥それよりも」



と、くるっと方向を変えてゆきの手から、一旦渡した拭布を取り上げる。

きょとんとした彼女の肩を押さえて上がり口に座らせると、自分はその後ろに回った。


「着替える前に頭を拭いて。呆けている間に風邪を引くでしょう?」

「さ、朔!自分で拭くから!」

「駄目よ。そう言って適当に拭いた挙句に熱を出したのは誰だったかしら?」

「‥‥‥うっ」


盛大に思い当たるだけに、ぐうの音も出なくて俯いた。
そんな彼女の頭をごしごし拭く朔の手は一定の振動をゆきに与え、同時に眠気をも与えていた。



「眠い?」

「‥‥‥そんなに子供じゃないよ」



(みんなして過保護なんだから)


いつになったら、自分は大人として見て貰えるのだろうか。
いつになったら一人の大人として扱ってもらえるのか。



(‥‥‥もう十八歳なのにな)







朔の優しい手つきがゆきの髪を優しく拭き取っていく。

優しくて、どこか懐かしくて‥‥‥。



(お母さんみたい‥‥‥)


もう会えない人を思い出して、切なくなった。



どうしようもない感傷に身を浸し始めたゆきの耳に飛び込んだのは、弾む足音。
同時に、全身に感じる清浄な気。


「‥‥あ、望美ちゃんだ」

「望美?何か用なのかしら?」



朔は、ゆきが気に敏感なことをよく知っている。
彼女が言うなら、まだ遠い足音の主が望美であることも間違いないと。

廊を曲がって姿を見せたのは、案の定朔の対になる白龍の神子だった。


「あ、ゆきちゃんお帰りっ!‥‥雨に降られたんだ?」

「うん。でも大丈夫だよ」

「またいつもみたいに無茶したら駄目だよー‥‥って、そうだった!」


濡れたゆきを見て、話が脱線したことに気付いた。
慌てて朔を見る。


「朔、譲くんがこの前買った味噌の置き場所を教えて欲しいってー!!」

「‥‥そういえば、いつもの場所が一杯だったから、蔵の奥に仕舞い込んでいたわね‥‥‥すぐに行くわ」

「うん、譲くんにそう言って来るね」



パタパタと引き返す足音が小さくなると、朔は手を早めようとした。
気付いたゆきが小さく首を振る。


「ありがと。私は大丈夫だから、早く行ってきなよ」

「そう。ちゃんと拭けるかしら?」

「あのねえ‥‥子供じゃないのに」

「ふふっ。そうね、貴女は大人よね。じゃぁ行くけれど‥‥‥風邪を引かないようにしっかり拭くのよ?」



‥‥ちっとも大人扱いしていない。


朔も、とにかくゆきの世話を焼くのが大好き人間のうちの一人。
正式に梶原家の養女となったゆきを、殊の外大切にしている。


「嬉しいんだけど、なんか複雑だよね」


それが分かっているだけに、ゆきはまた溜め息を吐いた。



手の中にある布に気付いて、仕方なく頭を拭き出す。

‥‥怒ると怖い義姉の、言いつけどおりに。



雨に濡れた身体は冷たかったけど、締め切った邸の中は程よく暖かくて‥‥‥。

朔が置いていったもう一枚の大きな布で肩を覆う。



襲ってくるのは、眠気。










 
「‥‥お帰りなさい。丁度いい所に‥‥‥あら、この子ったらいつの間にか眠っているわ」



夢現で苦笑する朔の声が聞こえた。


合わせて笑う、柔らかい声音が心地良い。



「僕が部屋へ連れて行きますね」

「ええ、お願いします」



急に感じる浮遊感が怖くて、無意識に手が伸びる。

真っ先に触れた布地をぎゅっと掴む。
温もりを感じることから、着物のようだ。


背と足に感じる体温。



「‥‥‥誰の前でも無防備過ぎるのは良くないと、もう一度教えなければなりませんね」





溜め息混じりの声が、聞こえた。


 
  


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