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京など滅べばいい。
さらりと告げた郁章は、そっとゆきの頭を撫でる。
「そんな‥‥‥」
呆然と呟くゆきを、左右色違いの眼が見つめていた。
かつてないほどに、優しく。
「私はね、ゆき。君に初めて会った日から、ずっとこの日を望んでいたよ」
京の滅亡を。
「‥‥どうして」
(何を師匠は言ってるの?)
聞きたい事が頭の中をぐるぐると巡るのに、どうすれば言葉に出来るのか。
混乱したまま、郁章を見上げた。
「私と君が出逢ったから」
「師匠と、私が‥‥‥?」
「そう。私は君を見つけてしまった。‥‥‥本来なら、出逢う事など有り得なかったのに。時空の違う世界で、私達はそれぞれ生きる筈だった」
ゆきが、望美達の事情に巻き込まれなければ。
ゆきが、両親と過ごしたあの時空で、ずっと幸せに生きていたならば。
‥‥‥陰陽師としての力に、目覚めなければ。
「出逢わなければ良かったと、一度も思わなかったと言えば嘘になる。師弟としての関わりだけを持ち、生涯見守るべきだ。そう理性が訴え続けていたよ。それが互いの幸せの為だと」
「‥‥‥」
「一人でも生きていける様、厳しく鍛えてきた。それ以上深く関わるべきではないと、何度も自問した」
「‥‥‥でも、師匠は色んなこと、教えてくれたよ」
前世が安倍晴明であること。
ゆきの父と母が、京で出逢って愛し合ったこと。
晴明と泰明との繋がり。
色んなことを、彼は教えてくれた。
「私は‥‥‥私はっ、師匠に出逢って良かったって思ってる。師匠とお父さんのこと、聞けて本当に嬉しかったよ。‥‥‥でも、師匠には辛いことだったの‥‥‥?」
ゆきの眼から涙が溢れてきた。
何故だろう。
「出逢わなければ良かった」という言葉に傷付いた訳ではない筈。
ただ郁章の微笑みが、悲しくて仕方なかった。
「‥‥‥君は、晴明が慈しんだ泰明の娘。そして、かつての白龍が恋した神子の娘。‥‥‥愛さない筈がなかったんだ」
郁章の腕がゆっくりとゆきを包む。
「いつからかな?君を愛していると気付いたのは」
「‥‥‥へっ?」
「愛しているよ、ゆき」
「し、師匠!?」
驚き、抱擁を振り解こうとするゆき。
けれど振り解けない。
強い力で抱き締められてゆく。
「師匠、ダメだよ!私にはっ」
(──さんがいるのに)
誰よりも好きな、あの人がいる。
だから、応えられない。
そう言おうとした。
なのに‥‥。
「二人で生きよう。君を殺す世界など、もう必要ないだろう?」
(私を、殺す?世界が‥‥‥?)
ゆきの動きが止まる。
心当たりはあった。
最近、常に身体を包んでいた違和感。
『貴女はここに居てはいけない』
そう告げた、小さな龍神の真剣な表情。
あの時の泣きそうだった彼の表情は忘れられない。
「私はこのままだと、死ぬの?」
「ああ」
「‥‥‥私が、京を滅ぼしちゃうかもしれないから?」
「その恐れがあると、認識されてしまったから」
郁章は頷く。
「君は初めから、この時空に於ける脅威だった。かつて封じた、悲しき未練を呼び起こす存在。君に力があるかないかはどうでも良いらしい。‥‥‥君の存在が、私に封じられた『白龍』の一部を目覚めさせてしまう」
最近、奇妙な夢を見ること。
大事な事を少しずつ忘れて行くこと。
それらは全て、世界がゆきの存在を消滅させようと、働きかけている。
──そう郁章は、抱き締めていた腕を解きながら続けた。
「運命に抗うには、運命を紡ぐ存在になればいい」
だから、封じられた神を呼び覚ました。
鍵となる神子には、「神子の娘」がいる。
ゆきの力はこの京に於いて、郁章に次ぐほど強力なもの。
元は先代の一部だったとはいえ、今の郁章は白龍と比肩し得る力を持っているかもしれない。
「‥‥‥だから師匠は、こんなことをしたの」
ゆきを騙してまで、神子に変えたのも。
世界の理を捻じ曲げてでも、自らを神と変容させたのも。
全てはゆきの為なのか。
「当然だろう?弟子を守るのは師の務め。だから君は、余計な責任を感じなくていい」
「師匠っ‥‥‥!」
「本当に、お馬鹿で向こう見ずな弟子を持つと後々苦労するものだね。まあ、お陰で退屈はしないが、頭を抱える日々でもあるよ」
「‥‥‥師匠っ!この野郎」
一瞬の感動を返せ。
いつもの意地悪な笑みを浮かべる郁章に毒吐きながら、心の何処かで安心していた。
act26.君を愛している
20170523
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