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気が付けば、花弁が舞う道を歩いていた。


「‥‥‥あれ?」


何だか心地がいい。
夢現の世界に存在するような、それとも酔い心地のような、危うい高揚感。


「いつの間に、外にいたんだろう」


ふと我に返って、けれどもそんな自分にすら疑問を覚える。


(‥‥‥そと?)


ということは、今まで建物の中にいたのだろうか。
ぼんやりとした頭は上手く働いてくれず、思い出せない。


───なんにも、思い出せない。


なぜ、一人なのか。
なぜ、ここにいたんだろう。

自分は、誰なのか。



『もうすぐしたら  が帰ってくるから、その時にでも聞けばいい』



誰かが自分にそう言っていた。
あれは誰だろう?
ぼんやりと輪郭が浮かぶ人は、兄弟か何かだったのだろうか。
とても慕っていた気がする。


「うーん‥‥‥思い出せないなあ」


ふわふわ、ふわふわ。

何かに惹かれるように進む道。
景色はどこまでも続く。


薄紅色した満開の花───あれは、


「さくら、だ」


とても、とても、大切な思い出が籠もった花。


(何だったかな)


忘れちゃいけない思い出だったはずなのに。




真っ直ぐ延びた薄紅の中を歩いている。
空は暗く、灯りは見当たらない。

月も星もない真の闇に、桜が自ら仄かに辺りを灯していた。
その光が空間を神秘なものに染め上げる。



どれくらい歩いたのだろう。


道の先に人影が現れた。


「ゆき」

「ゆき‥‥‥?」


随分離れていても穏やかに響く、低い声。


(‥‥‥たぶん、わたしの名前)


ゆき、と呼ばれた娘はぴたりと足を止めた。


(ああ、そっか)


胸の奥からぎゅっと、狂おしい欲求が込み上げる。
涙が溢れそうになる。
会いたかった。

会いたくて、ずっと探していて、───生まれる前から求めていた存在。

彼はゆっくりと歩く。

一歩、一歩、進む足元を薄紅が纏いつく。
優雅な踊りの様な光景は、この空間を生み出した人物を慕っているみたいだ。



「迎えに来たよ、ゆき」



その瞬間、ぱちん、と風船が弾けるような音がした。
同時に全て思い出す。

そう、何もかも『全て』を。



(‥‥‥そういうこと、なんだね)



此処は彼が作った世界。
彼が、ゆきを手に入れる為だけに作った結界の中。

一度飛び込んだら、もう二度と出ることは叶わない幻想的な檻。

近付く銀の髪。
左眼は濃紺、そして右眼は真紅。

常に憎らしいほどの笑みを浮かべる人物を、知っている。


「師匠‥‥‥」

「ああ、一時的に記憶を弄ったゆえ心配したものだが、どうやら後遺症はないようだ」


良かったね、と微笑を浮かべる姿に怒りが込み上げた。


「ぜんぶ、師匠の仕業なの?」

「全部、とは何処までを指す?」

「全部だよ!最近のおかしいこと全部!」


何がおかしいのか。
噛み付くゆきを愛しげに見遣るこの男に、怒りを隠せず叫んだ。


「記憶いじって私をおかしくさせただけならいいよ!何もかも思い出させようとしたことも、私だけが被害者ならまだ許せる!」

「‥‥‥ほう、術は完全に効かなかったらしい。それとも君の力を見くびっていたのか」

「はぐらかさないで!」

 


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