(3/4)
気が付けば、花弁が舞う道を歩いていた。
「‥‥‥あれ?」
何だか心地がいい。
夢現の世界に存在するような、それとも酔い心地のような、危うい高揚感。
「いつの間に、外にいたんだろう」
ふと我に返って、けれどもそんな自分にすら疑問を覚える。
(‥‥‥そと?)
ということは、今まで建物の中にいたのだろうか。
ぼんやりとした頭は上手く働いてくれず、思い出せない。
───なんにも、思い出せない。
なぜ、一人なのか。
なぜ、ここにいたんだろう。
自分は、誰なのか。
『もうすぐしたら が帰ってくるから、その時にでも聞けばいい』
誰かが自分にそう言っていた。
あれは誰だろう?
ぼんやりと輪郭が浮かぶ人は、兄弟か何かだったのだろうか。
とても慕っていた気がする。
「うーん‥‥‥思い出せないなあ」
ふわふわ、ふわふわ。
何かに惹かれるように進む道。
景色はどこまでも続く。
薄紅色した満開の花───あれは、
「さくら、だ」
とても、とても、大切な思い出が籠もった花。
(何だったかな)
忘れちゃいけない思い出だったはずなのに。
真っ直ぐ延びた薄紅の中を歩いている。
空は暗く、灯りは見当たらない。
月も星もない真の闇に、桜が自ら仄かに辺りを灯していた。
その光が空間を神秘なものに染め上げる。
どれくらい歩いたのだろう。
道の先に人影が現れた。
「ゆき」
「ゆき‥‥‥?」
随分離れていても穏やかに響く、低い声。
(‥‥‥たぶん、わたしの名前)
ゆき、と呼ばれた娘はぴたりと足を止めた。
(ああ、そっか)
胸の奥からぎゅっと、狂おしい欲求が込み上げる。
涙が溢れそうになる。
会いたかった。
会いたくて、ずっと探していて、───生まれる前から求めていた存在。
彼はゆっくりと歩く。
一歩、一歩、進む足元を薄紅が纏いつく。
優雅な踊りの様な光景は、この空間を生み出した人物を慕っているみたいだ。
「迎えに来たよ、ゆき」
その瞬間、ぱちん、と風船が弾けるような音がした。
同時に全て思い出す。
そう、何もかも『全て』を。
(‥‥‥そういうこと、なんだね)
此処は彼が作った世界。
彼が、ゆきを手に入れる為だけに作った結界の中。
一度飛び込んだら、もう二度と出ることは叶わない幻想的な檻。
近付く銀の髪。
左眼は濃紺、そして右眼は真紅。
常に憎らしいほどの笑みを浮かべる人物を、知っている。
「師匠‥‥‥」
「ああ、一時的に記憶を弄ったゆえ心配したものだが、どうやら後遺症はないようだ」
良かったね、と微笑を浮かべる姿に怒りが込み上げた。
「ぜんぶ、師匠の仕業なの?」
「全部、とは何処までを指す?」
「全部だよ!最近のおかしいこと全部!」
何がおかしいのか。
噛み付くゆきを愛しげに見遣るこの男に、怒りを隠せず叫んだ。
「記憶いじって私をおかしくさせただけならいいよ!何もかも思い出させようとしたことも、私だけが被害者ならまだ許せる!」
「‥‥‥ほう、術は完全に効かなかったらしい。それとも君の力を見くびっていたのか」
「はぐらかさないで!」
前 次