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「‥‥‥ゆき?」
「‥‥‥っ」
ぐっと己の胸元を掴み俯くゆきの手首を弁慶が掴み、驚いた。
脈拍が異常に速い。
それと、呼吸も浅く息切れを起こしている。
熱はない。
念の為ざっと身体を検め怪我もないのを確認すると、弁慶はひとまず安堵の息を漏らした。
「話を中断して申し訳ないですが、一旦戻りましょう」
「そうだな。雨が降る前に」
久々に力を行使した反動だろうか。
ならば至急戻り休ませるべきだ、と二人の様子を見て皆が頷く。
弁慶が元々頑丈ではないゆきの身体を抱えようとした時。
『それ』は起こった。
「きゃあぁっ!」
どくん、どくん。
心臓の音が刻む度に、体中に痛みが突き刺さった。
耐え切れなくてゆきが悲鳴を上げる。
「ゆき!?」
「だいじょうぶ、ちょっと、びっくり‥‥した、だけ‥‥‥」
悲痛の声をあげた弁慶に心配をかけまいとそう返すものの、痛みに顔を顰めてしまう。
歯を食いしばり、見据えた先。
地面に付いた自分の片手が、
「‥‥え?」
光っている。
反対の手も同様に。
信じられない事態に気付いたのは、ゆきだけでなかった。
「ゆき!?」
「ゆきちゃん、これは‥‥っ!?」
光はゆっくりとゆきの全身を包む。
それは、淡く雲がかった月明かりに似ていた。
神聖に見えるのに──不安を覚える。
「‥‥っ!!」
痛みに耐えかね崩れ落ちた身体を弁慶が強く抱き締めた。
──ゆきの異常、今になって怨霊が現れたこと。
二つの関連性が掴めない。
けれど、無関係にしては時期が合い過ぎている。
弁慶が鋭く向けた視線の先、俯く小さな龍神。
神である彼が恐れていたのは、この事なのだろうか。
ともあれ、こうなったら話を聞きだすところではない。
一刻も早く邸に戻り、安静にさせなければ。
「私が連れて行こうか、弁慶」
リズヴァーンの申し出を一瞬吟味して、弁慶は頭を振った。
「いえ。それほど遠くもありませんし、経過が気になりますから」
薬師としても、片時も眼を離せるような状況ではない。
ゆきを抱いたまま立ち上がり、京邸に向け歩き出したところで、けれど一行の足はぴたりと止まった。
「‥‥‥ようやく時が巡ったようだね、ゆき」
無視できない存在感。
そこで待ち受けていたのは、ゆきがずっと探していた人物。
陰陽術を師であり、ゆきと因縁浅からぬ存在だった。
「お師匠さん?‥‥今まで何処にいたんですか」
ゆきちゃんが探していたんですよ。
望美の呼びかけに対し、流れる銀の髪をさらりと払うと、愛しげな眼差しを淡く光り続けるゆきへ。
「成る程‥‥‥貴方の目論見はこれだったんですか」
弁慶が、眼光鋭く前を見据える。
「‥‥‥軍師の肩書きは厄介なものだね。弁慶殿は、私ですら敵に回したくない相手だ」
「ふふっ。郁章殿にそう言って貰えるなんて、光栄ですね」
優雅に弁慶が微笑んだ。
けれどその眼は笑ってなどいないのは、振り向かずとも今までの経験から皆知っていた。
その証拠に、誰も口を挟まない。
ゆっくりと、空気が緊迫に染まってゆく。
「如何だろう?私としても、弟子が慕っている貴方達と対立するのは本意じゃない。出来れば穏便に済ませたいのだが」
「穏便に、ですか。話によりますね」
「‥‥‥ああ」
郁章は是とも否とも付かぬ曖昧な答えを返す。
それから、弁慶に向かい手を差し出した。
否。
意識を失ったままの娘に。
「そろそろゆきを返してくれないか」
「あ‥‥」
背後で誰かが息を呑んだ。
驚き、けれど、悲しい眼差しで郁章を見ている。
郁章がそれを見て柔らかく笑った。
「君は?‥‥‥ああ、君は『識っている』んだね。元来その子は私のモノだと」
空いた間は、僅か数瞬。
それから弁慶の後ろで、躊躇いがちに答える声が聞こえた。
空に暗雲が立ち込めてゆく。
ぽつり、とうとう降り出した雨が、涙の色を思い出させる。
それは夢の終焉を告げる合図。
act23.夢が終わるその前に
20110719
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