(2/6)
京邸に通う者、住まう者。
各々が用事や仕事を済ませると、急用で無い限りは示し合わせた様に夕餉の席に着く。
全員揃う事は珍しいが、習慣付いた日課。
京邸に来るまで一人で居る事が多かったゆきには、感無量だった。
「ところで望美ちゃん、リズ先生に会えたの?」
箸を持ったまま首を傾げると、口に煮物を放り込んだ望美が頷く。
暫くもぐもぐと口を動かした後、もう一度頷いた。
「うん、会ったよ。そう言えば朔の部屋まで探しに行ったんだってね」
「そうなの。先生でも人間違いがあるのね、ってゆきと話していたのよ」
「あー、それは‥‥‥まあ、先生も一応人の子だから」
「春日先輩、フォローになってませんよ」
「ぷっ」
譲の的確な突っ込みに思わず吹き出したのは、ゆきと『フォロー』の意味を教えて貰っていた景時。
一体何が面白いんだか、と若干呆れた眼を向けているのは、この中では一番立場が強い(筈の)九郎だ。
ちなみに、話題に上っている金髪の優しい鬼は、用事があるとかで此処には居ない。
だからこそゆきが尋ねた訳だれど。
鬼の青年だけでなく、夕餉の席にはヒノエもいない。
否。
ヒノエが姿を見せなくなって結構日にちが経っていた。
熊野からの使いが来たとかで忙しいのだと、何日か前に弁慶が教えてくれた。
「ねえ神子。ふぉろーとは、なに?」
きょとんと首を傾げて隣に座っている紫苑色の髪の持ち主を見上げるのは、小さな龍神。
その可愛らしい仕草に、いつものゆきなら「白龍かわいいっ!」と萌えているけれど。
(‥‥あれから分からなくなっちゃった)
───あなたは、ここにいてはいけない
あの時の彼の声音はとても、優しかった。
だからこそ、一月程経った今でも戸惑っている。
あの会話なんて無かったかの様に、無邪気に接してくる小さな神に対して。
彼はただ───ゆきが結論を出すのを待っている。
(本当は、時間もないのにね)
「ゆき、どうかしたんですか?箸が止まっていますよ」
「え‥‥」
暗く落ちかけた思考を一気に引き戻す、甘い声。
思わず顔を上げれば、柔らかに揺れる髪。
声同じ位の優しい笑顔の弁慶が、ゆきに向かい手を伸ばした。
「ほら、そんな顔をしていると折角作ってくれた朔殿が悲しむでしょう?ついでに譲くんも」
「べ、弁慶さん?ちち、近いですっ!」
伸びてきた両手が頬を包む。
そうして真っ直ぐに視線を合わせるから、ゆきは慌てふためいた。
思わず逃げ出そうとする。
けれど、当然ながらがっしりと顔を挟まれて身動きなんて取れなかった。
内心でじたばたと暴れているゆきに向かい、にっこりと、
「‥‥‥可愛い顔は、僕の前だけで。此処では心置きなく襲えないでしょう?」
「襲っ‥‥!?」
とんでもない爆弾を落とし、ゆきを見事に硬直させていた。
「まあ、今日も仲良しね」
「全くあいつらは。他人の居ない所でやれと何度言ったら分かるんだ」
「まぁまぁ。でも九郎も慣れたな〜。最初の頃は真っ赤になってたのに」
「‥‥‥呆れているんだ」
げんなりと肩を落とす本来生真面目な青年に、同情の眼が幾つか向けられた。
二人がいちゃつくと真っ先に照れて怒っていた彼が此処まで大人しくなるとは。
慣れとは恐ろしいものだ。
「ごちそうさまでした!」
丁度その時。
白龍にフォローの意味を説明し終えた望美が、若干白けた雰囲気を壊すかの如く、手を合わせた。
ぱちん、と小美味いい音が合図のように、苦笑しながら弁慶も手を離す。
「フォローの意味分かった?」
「うん、ありがとう。神子大好き」
「ありがとう白龍。何でも聞いてね」
今度は龍神と神子が「いちゃつき」出したが、先述の二人に比べて眼に優しい。
釣られてにっこり笑いたくなる微笑ましさだ。
「白龍は何処までも春日先輩が好きなんだな」
‥‥‥ぼそりと零す約一名以外は。
(有川くん、白龍にヤキモチ焼いてたりして)
ゆきはこっそり笑う。
隣で同じ笑みを浮かべながら蜜色の髪の青年が食事を終え、「ご馳走様」と両手を合わせた。
「譲くん、それは当然なんですよ」
「‥‥‥当然、って何がですか?」
「白龍が望美さんを慕う事が、です。古来より、神は神子や巫女という依坐なくして、神たりえないのですから」
元来、数多の神が存在する。
その誰もが『神子』若しくは『巫女』ないし『神巫』と呼ばれる存在を、人の中から選ぶ。
大概は霊力の高い者や、代々依坐を務めている一族から生まれる。
尤も、例外はある。
白龍の選んだ望美は、どちらにも当て嵌まらない『特殊』な存在だ。
神巫とは、神を奉じ、神思を伝えるもの。
神楽を舞ったり神事に奉仕して神職を補佐するもの。
そして、白龍の神子は‥‥‥。
「白龍と神子は対なるもの、と聞いている」
敦盛の言に弁慶が頷いた。
「そう。ですから、白龍が望美さんを愛して慈しむのは、寧ろ本能なんですよ。譲くん?」
「‥‥‥弁慶さんは俺をどう扱いたいんですか」
にんまり、何とも人の悪い笑みを浮かべる弁慶に、譲は肩を落としながら問いかけた。
「いえ別に。男の嫉妬は醜いですよと教えてあげたくて」
その瞬間。
数名の、手が、ぴたりと止まった。
『お前が言うな!』
‥‥‥との考えを、青年に言える勇者や猛者は居ない。
皆年月を重ねて聡くなったと言うべきか。
と、ここで、若干温度の下がった空気を察していないのか、この場に居る誰よりも気配に『敏感な筈』の娘が口を開く。
「うわあ。本能って何だか素敵ですねえ」
「‥‥えっと、ゆきちゃん?」
彼女の言う素敵、とは何だろう。
首を傾げる望美は栗色の大きな眼を見詰めた。
「だってね、望美ちゃん。神は神子を本能で好きなんでしょ?それって出逢いとか理由とかそんなのすっ飛ばして、魂の一番底から『好き』が溢れてる感じがするんだよ」
「‥‥‥そ、そうだねゆきちゃん」
答える望美も他の面々と同様、のほほん娘に圧倒されている。
神の愛。
揺らがぬ想い。
それは人が思う究極の愛じゃないだろうか。
たとえその『愛』が、『恋』じゃないとしても。
「ふふ。そんな愛情なら、人が勝つのは大変だ。ね、有川くん?」
「元宮‥‥‥お前まで」
流石、恋人同士。
同じ所でからかってくるとは。
譲は今度こそがっくりと項垂れて、それを見た他の者達は苦笑した。
───神の『愛』に、人は勝てない。
自分の唇から零れたその言葉を、ゆきはどうしてか忘れられなかった。
忘れてはいけないと、思った。
前 次