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かさり、葉を踏み鳴らす音が山の中で小さく響く。

山の中は濃密な自然の空気が漂っており、人の気配は皆無。
恐らくこの場所に迷い込む人間など居ないのだろう。

否、迷い込めない様になっている───作為的に。

結界の主が招いた者以外は誰も訪れることが出来ない、云わば『聖域』。


その様なことをちらりと思い、口元に苦笑を浮かべて。
彼は迷いのない足取りで奥へと進んだ。


「ああ、此処ですか」


一人ごち、外套から覗く手で得物の長刀を構える。
指し示したそこは、来た道と何一つ変わらない、山肌の一点。


男はそのざらりとした土に、用意していた呪符を貼った。


唇に微かな笑みを刻みながら、長刀を突き刺し───そして。

次の瞬間、景色が歪んだ。










act22.橙に染まる空









「初めまして、ですか。こうして二人きりでお話しした事はありませんでしたから」

「確かに。弁慶殿にはうちの愚弟子が迷惑を掛けているのに、ろくに礼も言わず失礼致した」

「いいえ、郁章殿。こちらこそゆきがいつもお世話になっているのに、挨拶も無しですみません」


にこやかに飛び交う挨拶。
鳥達が一斉に飛び立つ凄まじい破壊音で、結界を破ったのがほんの少し前とは思えない。
それほどに、清々しい笑みで男二人が向き合っている。

奥に広がる色とりどりの花々。
その中間に、赤い桟敷と茶の用意までされている。

こうして見れば、結界を『ぶち壊した』弁慶を接待する準備は既に万端と言えるだろう。


‥‥‥もし今ゆきが目撃したら、確実に『地獄絵図だ』と泣くだろう。


(尤も、ゆきは知らないけれど)


郁章の隠れ家を尋ねていることなど。


「それで、用件は?」

「僕の用向きでしたら郁章殿がご存知でしょう?」

「さぁねえ。暫く隠居生活を送っていた私に、世間を知る術などありはしないさ」

「郁章殿は随分と謙虚な方ですね。ふふ、聞いていた郁章殿のお人柄とは少し違うようで、驚きました」

「ほう。軍師ともあろう貴方が、愚弟子の言葉を真に受けたとは些か信じ難いが」

「ああ見えて、ゆきの人を見る眼は確かですよ。貴方もご存知でしょう?」


話もひと段落つき、促された席に着いた弁慶は、瞳の青い女が差し出した茶器を受け取った。
澄んだ瞳には意思が見出せない。
恐らく、彼女は郁章の生み出した式神なのだろう。


出された茶を口に含めば、かなり甘い。

否。
葉の苦味を誤魔化す為に敢えて付けられた甘さゆえに、微かに眉を顰めた。

その様を眺めていた郁章が、人の悪い笑みを浮かべる。


「如何かな?普段あの子が口にするものと、同じ茶を用意させたんだが」

「これはまた‥‥‥糖蜜で甘味を付けるとは、随分と贅沢ですね」


ゆきは苦いものが駄目だったりする。

弁慶の薬を飲むときいつも涙目で、恐らく何時までも慣れないだろう。
勿論それはゆきだけでなく、望美や白龍にも言える事だが。

お陰で梶原邸で淹れるお茶は、朔や譲の試行錯誤のお陰で柔らかく上品なものとなったが‥‥‥。



糖蜜は嗜好品であり、薬にも用いる。
高価ゆえになかなか手が出せないそれを、「苦味を嫌うから」という理由で、惜しげもなく使う。

ゆきの為に。




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