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かたり、小さな物音。
褥から半身を起こしていた弁慶は、障子戸の外に視線を向けた。
「其処に居るのはゆきでしょう」
「‥‥はい。起こしちゃいました?」
いつもの彼女らしくない、控えめな返事に眉を顰める。
昨夜は弁慶も遅い帰館だった事もあり、必然的に別室で休んでいた。
遠慮がちな声音。
是、と答えれば遠慮して自室に戻るだろうから、弁慶は事実を語る。
「少し前に起きていました。薬草の在庫が残っていたか思い出していたんですよ。君は?」
「あ、あの‥‥っ!」
室の外で遠慮の声。
弁慶は苦笑しながら障子戸に手を掛けた。
「とにかく入って下さい。早朝は冷えますから」
「はい!」
三日振りのその笑顔に、弁慶の頬も緩む。
室内に入り後ろ手に戸を閉めた途端、ゆきが抱き着いてきた。
すかさず弁慶も背中を支えて、気付く。
ゆきの身体が、長時間外気に触れていたことに。
「早朝なのにこんなに冷やして、何をしていたんですか」
咎める口調にもゆきは顔を上げず、弁慶の胸に頬を寄せたまま。
「眠れなくて散歩してたの。白龍と」
「白龍、ですか?」
「はい。何かね、ここ最近の気の乱れで落ち着かないんだって。だから早く眼が覚めてしまうんだって言ってたの」
成る程、と弁慶は内心頷く。
弁慶自身も白龍から「気が乱れている」と聞いていた。
その原因は不明であるとも。
「‥‥‥私はね、寂しかったの」
顔を上げたゆきの瞳が潤む。
会えない夜は寂しくて眠れない。
愛しい存在にそう訴えられ、喜ばしく思わぬ男はいないだろう。
束の間、その栗色の瞳をじっと見つめる。
それから唇に微笑を浮かべた。
「僕もですよ。君が腕の中に居ない夜なんて寂しすぎます」
「弁慶さん‥‥」
「朝餉まで時間はありますし、埋め合わせしませんか?」
「‥う、埋め合わせ‥‥って、もしかして」
「ええ、言葉通りの意味です」
みるみる紅く染まる頬。
これからも自分の為だけに色付けばいいと願う。
「べ、弁慶さんのえっち!」
「今頃気付いたんですか、ゆき?」
「う‥っ、し、知ってるけど‥っ」
柔らかく熱い頬に手を添えて、唇を奪う。
強張った身体が弛緩するまで口接けを深めて、ゆっくりと褥にもつれ込んだ。
弁慶の手がゆきの頬を撫で、首筋を滑ってゆく。
「‥‥ひゃ、ぁ‥」
全て委ね、彼の求める声を出す愛しい存在。
いっそ、すべてわすれてしまいたい。
声なき悲鳴。
弁慶の下で彼を受け止めるゆきの目尻から髪にかけて、涙が伝ってゆく。
彼女が何を思い、この早朝に自分を訪ねて来たのか。
『寂しかったの』
その言葉の裏に隠した、彼女の行動も。
問い詰める事など弁慶には容易い。
けれど‥‥。
「僕は‥‥君を、離しません」
そうしない代わりに出した答え。
「んんっ、‥ぁ‥」
「大丈夫‥‥僕がいます。ゆき」
ゆらゆらと揺れながら何度も囁いた。
普段は聞けない上擦った声を上げるゆきに届くように、何度も。
決して忘れないように。
忘れる事など出来ないように、弁慶の存在を刻んだ。
その日弁慶の私室には、朝餉の時間を誰も告げに来る事はなかった。
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