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「重衡さん!」
神泉苑の奥まった場所から立ち去ろうとする、重衡の気を辿るのは容易い事だった。
「‥‥‥ゆきさん?」
突如現れた目の前の人物の名を呟き、重衡は目を大きく見開いた。
「‥‥‥追い付いた‥‥‥よ、良かったあ‥‥」
相当走ったのか。
息も荒くなりながら、ゆきはもう一度「良かった」と言っている。
重衡は驚き過ぎて言葉も出ない。
ちょうど今、思い浮かべていた人物が目の前に現れたのだから。
「‥‥‥月が天女を遣わして下さったのでしょうか‥‥」
「いや昼間ですから」
間髪入れずに答える彼女は、間違なくゆきだった。
「重衡さんはどうしてここへ?」
人目に付かない場所まで移動して、ゆきは重衡に向き合った。
「恐らく、京に来るのもこれで最後なので、懐かしい場所を回っていたのです」
ここで、京回りも最後だった。
そう告げると、ゆきの目が哀しそうに揺れる。
「戦があるから‥‥?」
「‥‥‥やはり、ご存じでしたね」
自分達が平家の人間だということを。
「はい‥‥あなたの名前を聞いた時から」
「そして、ゆきさんは源氏側の方なのでしょう」
「‥‥知ってたんですか?」
「秋に、貴女がお世話になってる方にお会いした時に‥‥‥お互いの姓を名乗らせなかったでしょう?」
「鋭いですね、重衡さん」
「貴女も」
二人、顔を見合わせて笑った。
初めて出会った頃と同じように。
「将臣くんにはこの事は?」
「勿論、秘密です。私と貴女とのね」
「良かった‥‥」
将臣と望美達が敵同士だと知って欲しくなんてない。
「‥‥‥‥でしたら先日、六波羅が焼けた時‥貴女は私と将臣殿のことを」
「心配しなかったよ」
驚く重衡をじっと見た。
本当に心配なんてしなかった。
だって、僅かに二人の気を感じたから。
さすがに行方を案じたりはしたが、生きていると知っていた。
「重衡さんも将臣くんも生きてるって知ってましたから。だから、今度も‥‥‥」
言葉に詰まって俯くゆきの両手を、重衡は自分の手で包んだ。
そのまま彼女の頬に、彼女の両手を当て、顔を上向かせる。
ゆきは泣きそうな顔をしていた。でも、泣かないでじっと重衡を見ている。
「私は、重衡さんと将臣くんのご武運を祈れません」
何より大切な人達が源氏にいるから、平家の武運は絶対に祈れない。
「はい、解っております」
「でも、無事を祈ってます。どうか生きていて下さい」
「‥‥‥‥‥ありがとうございます」
平家は終わる。
生き延びる保障など、どこにもない。
そんな事はゆきも解りきっているだろう。
それでも敢えて願うのは、将臣も重衡も大切な友だと思うから。
(ゆきさん‥‥)
一瞬躊躇って、重衡はゆきに手を伸ばした。
「しっ‥重衡さんっ?」
思いも寄らない行動に固まった彼女の耳元で囁く。
「少しだけ、このままでいさせて下さい」
「‥‥‥っ」
暫し逡巡した後、小さく頷いたゆきの身体。
壊れ物の様に腕を回した。
きっと、ゆきと会うのもこれが最後。
もし別の出会いをしていたら
もし、まだ逢瀬を繰り返せていたら
花開いたであろう、蕾のままのこの想いに
別れを告げる為に抱き締めた。
「そろそろ戻らねばなりません‥‥‥‥名残惜しいですが、失礼しますね」
「あ、そろそろ私も‥‥‥‥‥重衡さん!」
「はい」
「また、会いましょう!」
戦で散らす命こそ本望。
既に、大罪に染まった自分は、もともと未来など望んでいなかった。
望むのは、華々しい死に様。
「‥‥‥ええ、またお会いしましょう」
笑顔で嘘を言うのも罪だと解っている。
それでも自分の言葉が引き出した、花のような彼女の笑顔を目裏に焼き付けた。
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