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「ヒノエ、そこにいるんでしょう」
月の明かりが仄めく梶原邸の夜。
夜も更け、さらなる静寂が訪れた中庭に向かって、声を掛ける。
「やっぱりね。来ると思ったぜ」
昼に譲が、種を植えてた柔らかい土の向こう、木の陰から望む人物が出て来た。
自分も庭に下り、邸から聞こえない場所へ移動した。
「で、ゆきの事?」
「さすがですね。ゆきさんが六波羅で何をしたのか聞いておこうと」
やっぱり聞きにきたか、とヒノエは嫌そうに顔をしかめた。
自分も聞きたい事があるから仕方ない。
「あんたに教えるのも癪だけど」
そう、切り出した。
「あいつ、オレの立場に一発で気付いた」
「立場とは‥‥」
熊野別当。
ヒノエは目で頷く。
「あいつが言ったのは、オレが神職だと、それが隠国熊野だと言う事だけど」
「確かに、ああ見えてゆきさんは頭は悪くありませんから‥‥‥気付いたでしょうね」
「あんたね‥‥ゆきが物凄く可哀相に思えるけど」
あれは本当に驚いた。
神職だと気付く者なら他にもいるだろう。
自分もそういった気には敏感だから。
だが、彼女自身行った事も出会った事もない『熊野権現』の神気だと言い切ったのには絶句した。
それに、目に焼き付いた鮮やかな炎の鳥。
「なぁ、ゆきは一体何なんだよ?」
「陰陽師ですよ。本人から聞きませんでしたか?」
「‥‥ただの陰陽師って訳じゃないだろ」
「すみません。僕もあまり知らないんですよ。彼女が強い霊力を持っているとしか」
あまり自分の事を話す人じゃありませんから。
苦笑にも自嘲にも見えるものを浮かべる目の前の人物に、自分も聞きたい事がある。
「あんたは‥‥‥」
言葉が続かない。
しかし、目の前の人物はいとも簡単に言葉を拾う。
「僕はゆきさんの恋人じゃありませんよ」
「その割には随分気にしてる様に見えるけど?」
「そうですね‥‥‥でも、僕は彼女を好きじゃありません。これからも、ずっと」
そう言って、口の端を緩く吊り上げる。
「確かに、見ていて飽きない‥‥‥でも」
弁慶は隙のない笑みのまま、ヒノエを真直ぐ見た。
「僕が彼女を大切にするのは、それが必要だからですよ、ヒノエ」
「‥‥‥‥ヤな奴だな、あんたも」
「ふふっ。ありがとうございます」
そう言って立ち去ろうとする背中に、ヒノエは問い掛けた。
「あんたは何を知りたかったんだ?」
「決まっているでしょう?‥‥‥彼女の力、ですよ」
屋内に消えていった弁慶に、嘘を吐いている様子はなかった。
ACT11.請うる雨 恋うる腕
「ゆき!!いつまで寝ている!!」
「う、うわあ!!」
初めて夢を見たあの日以来、ゆきはあまり眠れなかった。
明け方まで悶々としていたが、いつの間にか寝たらしい。
大音声に飛び起きたら、部屋の入り口に九郎が憮然と立っていた。
「九郎さん‥‥おはぉー‥‥ふぁ」
「欠伸しながら喋るな」
今朝は随分と声の調子が硬い。
「‥‥もう朝稽古は終わったんですか?」
「ああ‥‥‥俺はしばらくここには来られないからな。挨拶に来た」
「うそっ!何で?」
驚いて立ち上がったら、
「バッ馬鹿!!服を着替えろ!!」
と真っ赤な顔して怒鳴られた。
(へ?‥‥‥ぎゃあっ!)
‥‥‥単衣が随分乱れている。
「後白河院が、神泉苑で雨乞いの儀式を行うんだ。俺は、源氏の名代として行かねばならんからな」
着替えたゆきが廊下に出ると、待っていた九郎が話し始めた。
「そうなんだ。大変な役目だね」
「ああ。京の貴族達は、東国の武士の出方を見ているだろうからな。兄上の名代として恥のない様に勤めなければ」
(それで緊張しているんだ)
確かにこの時代の源氏は『坂東武者』と呼ばれ、京に住む貴族や平家達から田舎者扱いされていた。
真面目な九郎の事だから、頼朝の名代として行くからには少しの失態も許されない、とでも思っているのだろう。
彼ならどんな重圧でも耐えるのだろうけど‥‥。
「‥‥もっと肩の力を抜いて下さい」
「‥‥‥そうだな‥‥‥お前も、寂しくなるからって泣くんじゃないぞ」
「泣きませんよ‥‥『兄上』?」
「馬鹿」
呆れたようにフッと鼻で笑う顔が、ゆきは好きだった。
今日は、土御門邸に顔を出す日だった。
先日の件で、ゆきは陰陽師として独り立ちをする事になった。
ただ、まだ完全に術を制御出来ない為、修行の日々は続いている。
「じゃあ、行ってきます!」
「ちょっと待って〜。ゆきちゃん、オレ達も行くよ」
「景時さん?」
「元宮、行こう」
「有川くん?‥‥‥土御門‥安倍家に用事?」
「‥‥‥星の一族?」
どこかで聞いた名前だと思う。
「白龍の神子を手助けする一族なんだって。白龍が俺の事を星の一族だって言うんだ」
「‥‥ああ、そういや師匠から聞いたなあ。
『八葉は神子を守る。星の一族は神子に仕える』」
「そうそう。詳しい事を知りたいしさ〜、郁章殿に聞けば何か解るかもって思ったんだよね〜」
「‥‥‥なるほど」
(あの師匠が簡単に教えるか謎だけど)
師の性格を良く知るゆきは、激しくそう思った。
「元宮、もし星の一族が実在してたとしたら、なぜ春日先輩の前に現れないんだろう?」
「う〜ん‥‥先代や先々代の神子が京にいた時は、星の一族の元で生活してたんだよね‥‥‥もともと神子は、星の一族が喚ぶものだって言ってたよ」
ゆきが師から聞いた話をすると、譲は不思議な顔をした。
「でも俺達を喚んだのは‥‥」
「白龍だった。間違ないよ」
確かに、この時代の星の一族はどうなっているのだろう。
「譲くん、それを今から調べに行くんだよ、オレ達」
「そうでしたね」
「わかった。私からも師匠にお願いしてみるね。ひねくれ者の扱いなら任せて!」
「ありがとう!ゆきちゃん相手なら教えてくれるよ!」
「‥‥‥‥どんな師匠なんだ‥」
当たり前の様に『ひねくれ者』呼ばわりするゆきと、否定しない景時を見て、譲は不安になった。
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