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「ゆき、ちょっといいかい?」



夕食を終えて、部屋に戻ろうと廊下に出たゆきを、呼び止める声がした。



「ヒノエ?」



目を凝らすと月明りに照らされて、とっくに食事を終えたヒノエが立っているのが見えた。



「頼みがあるんだけど」



こんな暗がりに紛れて呼び止めると言う事は、余程大切な話があるのだろう。

と言う事は、ひとつしか思い当たらない。



「ヒノエがどこの誰かなんて私は言わないから、安心していいよ?」



ゆきが思い当たる秘密とは、彼が熊野権現の神職にあたる、という事だけ。それ以外は何も知らないのだから。

恐らくその事実が、皆の耳に入っては不味いのだろう。
彼の立場がばれてしまう、と言う事に繋がるのだから。



「‥‥ふふっ、察しがいいね。そうしてくれると助かるよ」

「いいよ、それくらい。‥そういえば、私、思ったんだけど」



ヒノエに軽く返事をして、ふと思い出した話題に変えた。
途端にヒノエの表情も、悪戯を思い付いたような楽しそうなものになる。



「何だい?」

「ヒノエが言ってた『身内の何考えているかわからない人』って‥‥」

「あぁ、オレも思ったんだ。『お世話になってる人で何考えているかわからない』って、もしかしてあいつ?」



やっぱりそうだった、と同時に思う。
顔を見合わせて吹き出した。











「あいつ、お前の恋人?」



ニヤッと口の端をあげながら、突然ヒノエが聞いてきた。

ゆきの表情がぴたり、と止まる。



「はあぁ!?そんな訳ないでしょうが」

「へぇ‥」

「馬鹿な事言わないでもう寝たら?おやすみ、ヒノエ」

「あぁ、おやすみ」



足早に自室へ戻るゆきの背中を見て、ヒノエの目は楽しげに歪められる。



(まだ何もしてなかったんだ、あいつ)



面白くなりそうな予感がする。















 










――――確か、私は梶原邸で寝ていたはず‥‥



(ヒノエと喋って、それから寝たよね?)




なのに
ふと、気がつけば山の頂上から裾野を見下ろしていた。


単衣だけを身に纏って。


寒さも感じない。

暑さも感じない。




夜闇に包まれているのに、月の光が朧げに辺りを照らす。







(ここ‥‥‥どこ?)



鞍馬山?


頭の中で、違うと訴える声がする。


どこか現実と違う気がする世界。



濃厚な樹々の香りも

さわさわと葉をこする風の音も、

こんなにはっきり感じるのに。







『――‥‥さん!‥‥さん!!』



少女の声がする。

必死に、誰かを呼んでいる。



その声に振り向いてみる。






急斜面を、息を切らせながら‥‥必死になって登る少女がいる。




暗くて良く見えない。



彼女が呼び掛ける、肝心な名前が聞き取れない。






『‥‥さん!お願い!!返事をして!!』








その場で凍り付いた自分に気付かないのか、彼女は通り過ぎていく。






やがて、少女が息を呑んで立ち止まった。






彼女の視線の先。月を背に、陰陽の紋様の狩衣を着た青年が、佇んでいた。









何かを言い合っているようなのに、聞こえない。




二人からこんなに近いのに、自分の姿は見えないみたいだ。










‥‥‥二人は抱き締めあった。

強く、お互いの存在を確かめ合うように。









『愛してる、神子』



切なくて、愛しさの溢れる声‥‥‥



その言葉だけ、はっきり聞こえた。































「‥‥‥‥あ‥‥」


気がつけば、寝具の上で横になっていた。



今のは何だったのだろう。



(夢?‥‥ううん‥‥ただの夢じゃないよね)



彼女の悲痛な叫びが耳に残る。

彼の涙を含んだ愛しい響きが忘れられない。




何より、

なんで二人とも、あんな格好なの?

どうして狩衣を着ているの?
どうして望美ちゃんとよく似た服を着ているの?







お父さん、お母さん‥‥。


『愛してる、神子』



夢の中の両親は、私の知らない二人だった。





「‥‥うっ‥‥く‥‥‥うぅっ‥‥‥」



私は布団に潜り、声を押し殺して泣いた。






ACT10.憂う視線のその先に


 


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