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物腰の優しい彼から想像も付かない程の鋭さが、場の空気を染める。


時間が止まった様に、誰一人として動かない。





否、リズヴァーンですら動かないのは、動けないから。



身じろぎ一つ。
指先すら動かしただけで

長刀は迷いなく、しゃがむ少女の首を掻き切るだろう。



腹の傷は恐らく、浅い。
暗闇の中で手元が狂ったのか。
迫る一瞬の殺気に、望美が敏感に反応したからか。




どちらにしろ、彼は本気だと言う事が伝わる。



「弁慶さん、なんで‥‥」

「すみません。けれどもう、時間がないんです」

「‥‥‥時間?」

「ええ‥‥‥‥‥‥彼女の、時間が」



弁慶の返事に望美が眼を見張る。



(彼女‥‥‥ゆきちゃん!?)




誰かが緊迫に耐え兼ねたのだろう。
ごくり、と唾を飲み込む音がした。




「‥‥‥教えて、弁慶さん。ゆきちゃんは何処にいるの?」

「‥‥‥‥‥‥」



再び訪れる沈黙。

弁慶は束の間だけ望美を映し、すぐに視線を上げた。
他の八葉や白龍を牽制して。





鋭利な刃にも似た空気。

冷たく凍えた眼差し。




「まさか僕自身、こんなことを想像もしていませんでした」

「弁慶、お前何を‥‥」

「いいえ、もう決めたことですから‥‥‥望美さん」

「はい」



望美に眼を向ける彼は、とても静かに凪いでいた。
その眼を見つめるだけで不安を誘うほど、美しかった。



「すみません‥‥‥君にこんな事を頼むのは筋違いだと解っていますが」



そう前置きして、ふっと溜め息を吐く。
そして、望美に突きつけていた長刀を降ろした。

途端に長く息をしていなかったことを思い出したかのように、皆が一斉に息を吐く音が聞こえた。

すかさず朔が望美の傍に走り寄り、懐から取り出した絹布を傷口に当てがう。



「弁慶さん‥」

「望美さん。ゆきは今、政子様に捕われているはずです。どうか、彼女を助けてください」

「‥‥‥あんたはどうするんだよ?」



誰よりも先にヒノエが気付いたのはやはり、血縁のなせる業か。
弁慶は浅く笑うと再び望美を見た。

望美も、隣に座る朔や他の者が眼に入らないように、じっと弁慶を見つめる。



「何で、ゆきちゃんは政子さんに捕まってるんですか?それに」

「それに?」

「‥‥‥弁慶さんはどうするんですか?」




ああ、きっともう。
自分は答えがわかっている。



(‥弁慶さんは、きっと‥‥‥)



それは到底承知できないことなのに。



「僕の行くべき場所はもう、決まっているんですよ」



弁慶は柔らかく笑った。

それは、その笑顔に胸がざわりと騒いだ。
体の内側がじりじりと捩じれる様な、嫌な予感がした。

望美が何度も跳んできたあらゆる時空の中で
何度も見てきた、覚悟の表情。



軍師たる彼は感情を露にする事がなかった。
本音や本心を口にすることがない。



‥‥‥今までの運命で、彼が感情を見せた時は、いつも‥



「ゆきちゃんはどうするんですか!!」



他の誰にわからなくても、望美には解ってしまった。
望美だから解ってしまった。



「ゆきちゃんを諦めるんですか!?」



思い切り叫ぶと弁慶は驚いたように眼を見張らせる。


それから一瞬だけ浮かべた‥‥‥切ないほどに優しい眼差しを、望美は見てしまった。



「僕は彼女を泣かせてばかりいましたから」

「でも、ゆきちゃんは弁慶さんを 「望美さん」」


弁慶は白龍の神子の名を呼ぶことで、彼女の口を封じる。

その先は望美であっても、決して聞きたくはなかった。
‥‥その先を弁慶に告げるのは、ただ一人。
他の者から聞くつもりはない。




例え、二度と聞くことが叶わなくても。







空気が再び緊迫に染まる。

そこで弁慶は眼を巡らせる。
視界の端で白龍が、望美から壁の‥‥その外に眼を向けるのを見た。



「神子!気をつけて!」

「‥‥‥来たようですね」




望美も朔も、八葉も皆、一様にそちらに眼を向ける。
そうして。


「あらあら、随分時間がかかると思っていれば‥‥‥まだ片付いてはおりませんの?」


音もなく扉が開かれると、そこには。
この場にそぐわない豪奢な立ち姿の女が、射し込む陽光を遮るようにして立っていた。


「弁慶殿、あなたを信じておりましたのに。残念ですわね」

「ええ。ですが先に約定を破ってしまわれたのは政子様の方でしょう」

「まぁ。もしかしてゆきさんのことかしら。
それは弁慶殿のお考え違いではございませんの?私はただ、あのお嬢さんを保護しただけ」

「そうでしたか。僕の勘違いなら良かった。てっきり僕は‥‥‥」


色素の若干薄い弁慶の眼が、政子を捕らえる。
言葉とは裏腹に冷ややかに細められたそれは、顰められた怒りを露にしているようだった。


「怖い顔。私はあのお嬢さんを傷付けたり致しませんわ。弁慶殿が一番よくご存知ではなくて?」

「‥‥‥そうですね、ですが!」

「べ、弁慶っ!?」



さっき白龍の神子の血を流した長刀を掴み直すと、弁慶は思い切り突き立てた。
九郎の驚いた声など聞こえなかった。




 



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