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「望美、起きているかしら」

「‥‥‥ん〜‥‥今起きたよ」

「‥‥‥ごめんなさい。でも」

「気にしないで、もう朝稽古の時間だから」



障子戸を叩く音と朔の声が、いつもと違う気がして。
一度で望美は覚醒した。

戸越しですら聞こえる安堵の溜め息。
それが、朔の余裕のなさを表している様に思う。

どうぞ、と声を掛けると同時、望美は枕元に畳んでいた装束に手を伸ばす。
戸を開け入ってきた朔は、やはり何処か焦っている様だった。



「何かあったの?」

「‥‥‥望美。ゆきが何処に行ったのか心当たりはないかしら?」

「‥‥‥‥‥ゆきちゃん?」



陣羽織の紐を結ぶ手がぴた、と止まる。



「ええ‥‥‥何処にもいなくて。騒ぎ立てる前に貴女に尋ねようと思ったの」

「師匠さんの所じゃないかな?ホラこの前も急に出掛けたし」



‥‥‥事も無げに言って、この不安を気の所為にしたい。



(ゆきちゃんはすぐに出掛けるんだから)



すぐに迷子になったりするくせに、子供の様に好奇心旺盛で。
そんな彼女は懲りる事をしない。

だから‥‥‥。



「景時さんに式神でも出して貰って、師匠さんに聞いてみようよ」

「‥そうね、ありがとう」



それでも心配そうな朔の肩をポンと叩く。

それにしても、朔の動揺の度合いが常とは違う気がして。
妙に引っ掛かる。


彼女を見ていると、姉と言うよりは幼子の心配をする母のようで、微笑ましかった。



「景時さん、今なら多分部屋だよね?」

「ええ、恐らく書類を書いているか、道具の整備でもしていると思うわ」

















朝と言うのに、厨にいたのは譲だけだった。



「望美を見なかったか?朝稽古の時間は過ぎているんだが」

「先輩ですか?いえ、見てませんけど‥‥‥おかしいな、朔も元宮と先輩を起こしに行ったきり帰ってきていませんね」



朝餉の支度に没頭して、そういえば朔が厨を出たのが随分前だったな、と鍋を見て思った。

程よく色を含んだ煮物は、彼女が味付けをしたもの。
沸騰したての頃に席を立って、今は出来上がっているのだから、かなり時間が経っている。



「朔殿も?」

「そういえば、元宮も姿を見せてないし‥‥‥何かあったんでしょうか」



望美やゆきならともかく、朔が「起こしに行く」と言いながらサボるなどは有り得ない。
同じ考えを同時に浮かべて、九郎と譲は顔を見合わせた。



「分かった、俺が見てこよう」

「すみません、九郎さん。お願いします」



変だな。
そう思いつつもさして気にするでなく、再び譲は釜の火加減を見た。














 


昨日は結局眠れなかった。

色々と考える事が多すぎると眠りは遠くなるもので、結果として一睡も出来なかった。

元々、二日三日眠らずとも支障のない身体にはなっている。
鞍馬山で修行の日々を送っていた頃から、自由な時間と言えば夜更けしかなかったのだ。
書を読み漁る為に削られてきた睡眠時間の結果、弁慶は多少の眠りでも身体は楽になる。

戦時にはその体質が、如何なく活用される訳だが。


それでも昼間に眠気が訪れないかと言えば、それは違うからやはり眠っておきたかった。




‥‥‥空が白み出す直前。

ようやく諦めた弁慶は、竹製の籠を手に鴨川に出掛ける事にした。









「‥‥僕の勘も大したものですね」



薬にも食用にも仕える蓬の葉に手を伸ばして、自分の目敏さに感心する。
まさに先日、ちらっと河原沿いの道を通っただけなのに、絶好の蓬草場所を発見したのだから。
無言で摘みながら、弁慶の脳裏には昨夜の事を何度も繰り返していた。



‥‥‥ゆきが、訪れた理由。


想像出来ないけれど、夜這いならまだいい。
いや、寧ろそうあって欲しい位だ。

そうすれば事の説明が付くから、今の様に詮索に頭を悩ませずに済む。

‥‥‥後程、更に頭を抱えるかもしれないが、それでも。



「けれど、彼女に限ってそれはない」



更に言うならば。
昨夜のゆきの様子に、そんな艶めいた素振りがなかった。







まさか。

思い付いた可能性に、弁慶は顔を上げた。


夜中否定していた一つの可能性に、結び付く。


まだ籠は半分も埋まっていない。
けれど、もうそれ処ではなかった。


とにかく邸に戻り、ゆきから話を聞き出さねば。

彼女は隠そうとするだろう。
けれど、とにかく反応が素直なのだ。
真実を読み取る事など、赤子の手を捻る様に容易い。





『私、弁慶さんの邪魔をします』

そう言って眼を煌めかせたゆきを、正直言えば甘く見ていた。






陰陽師とは言え、力の弱いただの娘。
望美を守るために彼女にしっかり付いているだろう、と。

逆に言えばそちらの方が有り難かった。

望美の側にいる。
つまり、望美に守られるということ。
更に言えば、望美と共に、八葉が彼女を守ってくれるのだから。



‥‥‥だが現実には、ゆきは望美の側には居ずに、彼女の師が住まう土御門家に居た。


その事実が意味する事は。




不眠での全力疾走は、流石に息が切れる。

京邸が見えて、荒くなる息を持て余して来た頃。
丁度、邸から一人の少女が飛び出してきた。



  


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