(2/4)
「望美、起きているかしら」
「‥‥‥ん〜‥‥今起きたよ」
「‥‥‥ごめんなさい。でも」
「気にしないで、もう朝稽古の時間だから」
障子戸を叩く音と朔の声が、いつもと違う気がして。
一度で望美は覚醒した。
戸越しですら聞こえる安堵の溜め息。
それが、朔の余裕のなさを表している様に思う。
どうぞ、と声を掛けると同時、望美は枕元に畳んでいた装束に手を伸ばす。
戸を開け入ってきた朔は、やはり何処か焦っている様だった。
「何かあったの?」
「‥‥‥望美。ゆきが何処に行ったのか心当たりはないかしら?」
「‥‥‥‥‥ゆきちゃん?」
陣羽織の紐を結ぶ手がぴた、と止まる。
「ええ‥‥‥何処にもいなくて。騒ぎ立てる前に貴女に尋ねようと思ったの」
「師匠さんの所じゃないかな?ホラこの前も急に出掛けたし」
‥‥‥事も無げに言って、この不安を気の所為にしたい。
(ゆきちゃんはすぐに出掛けるんだから)
すぐに迷子になったりするくせに、子供の様に好奇心旺盛で。
そんな彼女は懲りる事をしない。
だから‥‥‥。
「景時さんに式神でも出して貰って、師匠さんに聞いてみようよ」
「‥そうね、ありがとう」
それでも心配そうな朔の肩をポンと叩く。
それにしても、朔の動揺の度合いが常とは違う気がして。
妙に引っ掛かる。
彼女を見ていると、姉と言うよりは幼子の心配をする母のようで、微笑ましかった。
「景時さん、今なら多分部屋だよね?」
「ええ、恐らく書類を書いているか、道具の整備でもしていると思うわ」
朝と言うのに、厨にいたのは譲だけだった。
「望美を見なかったか?朝稽古の時間は過ぎているんだが」
「先輩ですか?いえ、見てませんけど‥‥‥おかしいな、朔も元宮と先輩を起こしに行ったきり帰ってきていませんね」
朝餉の支度に没頭して、そういえば朔が厨を出たのが随分前だったな、と鍋を見て思った。
程よく色を含んだ煮物は、彼女が味付けをしたもの。
沸騰したての頃に席を立って、今は出来上がっているのだから、かなり時間が経っている。
「朔殿も?」
「そういえば、元宮も姿を見せてないし‥‥‥何かあったんでしょうか」
望美やゆきならともかく、朔が「起こしに行く」と言いながらサボるなどは有り得ない。
同じ考えを同時に浮かべて、九郎と譲は顔を見合わせた。
「分かった、俺が見てこよう」
「すみません、九郎さん。お願いします」
変だな。
そう思いつつもさして気にするでなく、再び譲は釜の火加減を見た。
昨日は結局眠れなかった。
色々と考える事が多すぎると眠りは遠くなるもので、結果として一睡も出来なかった。
元々、二日三日眠らずとも支障のない身体にはなっている。
鞍馬山で修行の日々を送っていた頃から、自由な時間と言えば夜更けしかなかったのだ。
書を読み漁る為に削られてきた睡眠時間の結果、弁慶は多少の眠りでも身体は楽になる。
戦時にはその体質が、如何なく活用される訳だが。
それでも昼間に眠気が訪れないかと言えば、それは違うからやはり眠っておきたかった。
‥‥‥空が白み出す直前。
ようやく諦めた弁慶は、竹製の籠を手に鴨川に出掛ける事にした。
「‥‥僕の勘も大したものですね」
薬にも食用にも仕える蓬の葉に手を伸ばして、自分の目敏さに感心する。
まさに先日、ちらっと河原沿いの道を通っただけなのに、絶好の蓬草場所を発見したのだから。
無言で摘みながら、弁慶の脳裏には昨夜の事を何度も繰り返していた。
‥‥‥ゆきが、訪れた理由。
想像出来ないけれど、夜這いならまだいい。
いや、寧ろそうあって欲しい位だ。
そうすれば事の説明が付くから、今の様に詮索に頭を悩ませずに済む。
‥‥‥後程、更に頭を抱えるかもしれないが、それでも。
「けれど、彼女に限ってそれはない」
更に言うならば。
昨夜のゆきの様子に、そんな艶めいた素振りがなかった。
まさか。
思い付いた可能性に、弁慶は顔を上げた。
夜中否定していた一つの可能性に、結び付く。
まだ籠は半分も埋まっていない。
けれど、もうそれ処ではなかった。
とにかく邸に戻り、ゆきから話を聞き出さねば。
彼女は隠そうとするだろう。
けれど、とにかく反応が素直なのだ。
真実を読み取る事など、赤子の手を捻る様に容易い。
『私、弁慶さんの邪魔をします』
そう言って眼を煌めかせたゆきを、正直言えば甘く見ていた。
陰陽師とは言え、力の弱いただの娘。
望美を守るために彼女にしっかり付いているだろう、と。
逆に言えばそちらの方が有り難かった。
望美の側にいる。
つまり、望美に守られるということ。
更に言えば、望美と共に、八葉が彼女を守ってくれるのだから。
‥‥‥だが現実には、ゆきは望美の側には居ずに、彼女の師が住まう土御門家に居た。
その事実が意味する事は。
不眠での全力疾走は、流石に息が切れる。
京邸が見えて、荒くなる息を持て余して来た頃。
丁度、邸から一人の少女が飛び出してきた。
前 次