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そこに居たのは、若い男。
藤色の見るからに上質な生地を使った着物を身に纏い、緩やかに波打つ髪を風にそよがせて立っていた。
‥‥‥何故か烏帽子に桜と梅を挿している。
が、そんな事を突っ込む余裕など今のゆきにはなかった。
男から発せられる強烈な陰の気は、気分が悪くなりそうな程。
「‥‥‥‥‥‥怨霊よ地に落ちるが良い。あまねく人間に我が一門の力を思い知らせてやりなさい」
閉じていた瞼を開けると、酷薄な微笑を唇の端に刻んだ。
恐らく彼が普段浮かべる表情なのだろう。
何故かそう思える程、その笑みが男‥‥‥平惟盛に合っていた。
「そこまでだ、平惟盛!」
九郎が真っ先に刀を抜き構える。
それを合図に、各々が武器を取り出した。
「ね、やっぱり戦うの‥‥‥?」
隣に立つ朔の袖を、ゆきは引く。
一瞬だけ怪訝そうな表情を浮かべ。
けれど質問したのが妹の様に思う少女だと分かると、朔は眼を和ませた。
「そうね。説得だけで応じてくれればいいのでしょうけど‥‥‥」
言葉を切った朔に釣られて、平惟盛を再び見た。
嘲笑いながら彼は告げる。
京を守護する寺社の気を呪詛し、京全体を阿鼻叫喚で満たす事。
これが彼、平惟盛の目的らしい。
(‥‥‥なんて酷い事を、嬉しそうに言うんだろう)
平家全体がそう考えている訳ではないと、ゆきにも分かる。
現に今、彼女の視界の中で将臣は、惟盛を睨み付けているし、敦盛も‥‥‥。
砂利を踏む音。
敦盛が一歩前に出た。
何処か痛そうで辛そうに見えるのは、気のせいだろうか。
「惟盛殿、あなたがその様な事を望まれるとは‥‥‥私はあなたを、止めねばならない」
「おや、裏切り者がいる。哀れなものですね。一門から見捨てられ、敵の元に走りましたか」
「‥‥‥敦盛くんを侮辱するなんて許さない!!」
「ゆきちゃん!?ダメだ!!」
‥‥‥我慢出来なかった。
ゆきは景時の背後から抜け出すと、敦盛の隣に立つ。
怒りを露わに、手には呪札を持っている。
「なんですか?この貧相な小娘は。こんな子供に庇われるなんて泣かせますね‥‥‥面白い。頼もしい援軍に感謝しなさい、敦盛」
「‥‥‥惟盛殿、今の言葉を取り消して貰いたい」
楽しくて仕方ないと笑う惟盛。
敦盛は武器の杖を構える。
それを見て惟盛は、尚も高らかに笑った。
愉悦を含んだ笑みは彼らを虫けらの様に思う故のこと。
ムッとしたゆきが呪言を口にしようとした瞬間、誰かがポンポンと頭を撫でた。
「‥‥‥ちょっと静かにしてろ」
「将臣くん、だって‥」
ちら、とゆきを見て眼で黙る様にと告げるのは将臣。
渋々肯定の意を頷くことで返すと、彼はそのまま一歩進み惟盛の正面に立つ。
「よく喋る奴だな」
まさか将臣がいるとは思わなかったのだろう。
「あなたは‥‥‥!」
と惟盛は絶句した。
「確かに、平家から見た敦盛は、一門に弓ひく裏切り者かも知れねぇな‥‥‥だが、戦に関係ねぇ奴を喜んで巻き込むお前よりはマシだと思うぜ」
「何を偉そうに‥‥!何様のつもりですか!」
カッとなって惟盛が怒鳴る。
敦盛には完全に見下していた態度。
将臣相手だとなぜ、余裕がないのか。
「‥‥‥‥‥‥だ。‥‥‥‥‥‥約束しろ。そうすれば‥‥‥」
将臣が小さく低く呟く声は、隣に立つゆきでさえも聞き取れなかった。
「冗談ではありませんね。私の企てがあなたが不快になると言うなら、ますますやる気が出てきましたよ」
さっきまでの動揺は何処へやら。
落ち着いたのか、惟盛はまたも不遜な笑みを浮かべる。
ただ将臣に向けられた眼には、明らかな憎しみ。
‥‥‥話し合って解りあう。
そんな相手ではないと、流石に将臣も理解した様だ。溜め息をひとつ。
少し遅れてカチリと音がした。
望美が、鞘から剣を抜く音。
両手で構えると、静かに口を開き出す。
「惟盛、私はあなたを止めに来た‥‥‥‥‥‥戦ってでも止めてみせる」
それはまさしく、戦に赴く巫女のよう。
白く清い炎が望美の身を包むのを、ゆきは確かに見た。
「ええ、止めてご覧なさい。止められるものならばね」
対する惟盛は、どす黒く澱んだ気を放つ。
「‥‥‥行きなさい、怨霊・鉄鼠!」
(うわ、やだ‥‥‥)
惟盛の呼び掛けと共に姿を具現したのは、大きな獣のような怨霊だった。
「‥‥‥愚昧な者共に我らが力、教えてあげなさい!!」
惟盛に応える様に、お世辞にも可愛いとは呼べない醜悪な怨霊が甲高い声で鳴く。
「‥‥‥行くよ、皆!」
八葉達が頷き、構える。
結界を張ろうと呪を唱え始めたゆきの口は、背後から伸びてきた手によって塞がれた。
「君が出る幕ではありません」
(‥‥‥‥‥‥!!)
振り解こうとしても、がっちりと掴まれた腕は剥れない。
そのまま引きずられて下がるしかなくなった。
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