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「こんな所でどうしたんですか。ゆき?」






辛いとき


怖いとき




いつも
いつも

会いたかったの。





あなたの事で泣いているくせに

あなたがいないと辛い



名前を呼んで欲しくて心は逸るのに

名前を呼ばれると切なくて泣きそうになる



切ない、恋しい、苦しい、愛しい



こんな矛盾、私は初めて知った。







ACT36.落陽の腕










「弁慶さん‥‥‥」

「‥‥‥人の多さに酔いましたか?」



五条大橋の欄干に抱き付く様に凭れ掛かるゆき。
その肩を軽く叩き声を掛けたのは、弁慶だった。


呼ばれて振り仰ぐと、外套から僅かに零れる髪が、雨上がりの陽光を受けて煌めく。



「あ‥‥」



光を受けた彼自身が輝いて見えた。





弁慶は振り向いたゆきの顔を、じっと見詰める。

‥‥‥さっき、遠目で発見した時、ゆきの様子が尋常ではない事に気付いた。

欄干に凭れて、今にも倒れそうに見えて‥‥‥気が気ではなかった。



そして声を掛け、振り向いた彼女の青褪めた表情。
彼の予想を確信に変えた。


弁慶は小さな息を吐く。



「これから何か用はありますか?」

「いえ、済ませて来ましたから‥‥‥」



いきなり用事の有無に付いて問う弁慶の目的が分からなくて、ゆきは戸惑いながら返事を返した。



「良かった」



途端に弁慶は微笑する。



(‥‥‥ずるい、弁慶さん)



この心は小さいから、
その笑顔一つで、壊れそうになるのに。

嬉しくて、切なくて、ドキドキして、苦しくて‥‥‥。

優しい笑顔にぼんやりと見惚れていた。
それをどう受け止めたのか。
弁慶は眼を伏せるとゆきの二の腕にそっと触れた。



「良ければ邸に戻りませんか?実は手伝って欲しい事があるんです」

「‥‥‥手伝い、ですか?」

「ええ。昨日とうとう朔殿に叱られたんですよ‥‥‥部屋を片付けろと。あれを僕一人で片付けると思うと‥‥‥」

「ぷっ‥‥‥あはは、確かに!!」



弁慶の部屋の壮絶さは知っているから、思わず噴き出した。


久々に見るゆきの満面の笑顔に、弁慶の眼が緩む。
ゆきが気付かない程の小さな変化。
‥‥‥本当は、朔に怒られてなどいない。

弁慶が敢えてこう言ったのは、気を遣わせる事なく邸に共に戻る為の口実と、もう一つの目的のため。



「‥‥‥では、お願い出来ますか?」

「はい、いいですよ。一緒にすれば早く片付くし、朔を見返してやりましょう」

「ふふっ。ありがとうございます」



嬉しそうに礼を言い、間髪入れずにゆきの手を引き歩く。
ぐっと引っ張られて、前のめりになりつつも足を動かした。


‥‥‥突然の事に頭が付いてこない。



「あ、あのっ‥」

「‥‥‥‥‥‥こうすれば、早く帰れるでしょう?」

「‥‥は、い」



繋いだ手を振り払うなんて、勿体なくて出来なかった。

そのまま弁慶に引かれる様に、一歩後ろを歩く。











女性と見紛う程、とても綺麗な人なのに
意外と大きくて節がしっかりしている手は、男のもの。



ゆきは視線を繋いだ手から、上に辿っていく。

手だけではなくて、抱き締められた時の肩や胸も‥‥‥。



(‥‥‥って何思い出してるの私!!)



雑念を振り払う為に、頭をぶんぶんと振った。



「君の手は小さいんですね」

「‥‥‥え、ええっと‥」

「だから、僕は‥‥‥」



(だから‥‥‥何?)


自分の頭の中を読まれたのかと、焦るゆきの動揺に気付かない筈はないのに。




振り返る事もなく弁慶は、繋ぐ手に力を込めた。






  


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