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「あ‥‥‥‥‥」
小さな呟きと共に、白龍が駆け出した。
姿の大きくなった龍神を望美が追うと、八葉達もそれに続く。
弁慶は前を走る少女の横顔を見る。
決然と、しかし微かな喜色を湛えた望美の横顔。
それはまるで、この先に何が待っているのか、知っているかのよう。
それが彼女にとって喜ばしい事であるような‥‥‥。
弁慶の眼は細くなり、思案の表情を浮かべた。
ひたすら龍神と神子を追う他の者に、気付かれる事なく。
「あんたさ、何考えてるわけ?」
不意に声を掛けられた。
ちら、と横目で見れば、自分に合わせる様にわざわざ速度を落とす甥の姿。
掛けられた声も、自分だけが聞こえるように潜められている。
「‥‥‥何も。と言っても納得してくれないんでしょうね」
「野郎の考えなんかに興味ない、って言いたい所だけどね。そうも言ってられないかな」
ヒノエの眼が逃さないと語り掛けている。
はぁ、と弁慶は溜め息を吐いた。
仕方ない。
速度を少しずつ落として、一行の眼に付かぬ様にそっと後ろに下がる形を取る。
幸い、白龍や望美に気を取られて誰一人気付かない。
一行の後ろ姿が小さくなるのを待って、同じ様に立ち止まったヒノエがまっすぐに弁慶を見た。
「それで?僕に何を聞きたいんですか?」
「‥‥‥あんたの企みってやつ」
低い声で問う。
いや、確認しようとしているのだろう。
‥‥‥勘が鋭いのは血筋なのか、熊野と言う環境のせいか。
自分にもヒノエにも、どちらの理由も当てはまるだけに、何とも言えない。
自分と同じく、この甥も恐ろしく勘がいい。
更に言えば、洞察力もあれば判断力も優れている。
それだけなら自分の方が長けている、と言えるのだが。
侮れないのは、ヒノエが熊野別当だということ。
別当だけが持つ、烏を使っての情報収集力は舐めてかかれない。
彼の言葉通り、ヒノエが男に‥‥‥ましてや自分に話し掛けるなど稀だ。
つまり、そうまでして自分に話し掛けた根拠があるということになる。
「企んでいるとは聞き捨てなりませんね。僕は何も」
「‥‥‥ふぅん。何も、ね」
「ええ。君が僕をどう思っているのか分かりませんが、そう疑われると悲しくなりますね」
ふぅ、と息を吐く弁慶を見て、ヒノエは「どうだか」と言わんばかりの表情を浮かべた。
「‥‥‥だったら、ゆきの事はどう説明するんだよ」
「ゆきの事、ですか?」
弁慶が僅かに眼を開く。
ほんの僅か、だが彼が驚くのは珍しい。
何故、突然ゆきの話題になるのか。
(‥‥‥ああ、そう言う事ですか)
「ヒノエ。彼女が突然いなくなった理由は、僕にも分かりません」
弁慶はあくまでも真顔で、その表情から感情など読み取れる筈がない。
そんなことは幼い頃から分かっていたが。
「嘘吐け 「ヒノエくん!弁慶さん!!こっちですっ!!」」
遅い二人に気付いたのか、望美が手を振りながら引き返してきた。
「望美さん、僕達がいないのを知って呼びに来たんでしょう」
行きましょうか。
そう言って踵を返す叔父の背中を、ヒノエは睨みつけるしかなかった。
「‥‥‥気付かない訳、ないだろう」
以前の弁慶だったら、何を考えているのか全く掴めなかっただろう。
いや。今だって分からない。
弁慶の軍師としての才能は、天性のもの。
膨大な情報から僅かな盲点を探し出し、幾重にも策を巡らせる‥‥‥‥それを常にやって退ける。
誰にも彼の胸の内など計れはしないのだ。
‥‥‥けれど、ゆきと接して、多少は変わった様に見えた。
彼女に対しては、好意以上のものを持っている。
一時は執拗な程、彼女に近付く者を「牽制」していた。
ただの暇つぶしには見えない、執着心を垣間見た気がしたのだが。
ある時を境に突然、ぱったりと興味を失くした様に振る舞っている。
‥‥‥そして、師匠と仰ぐ男からの伝言だけを残して、忽然と消えたゆき。重症を負い、まだ回復していないのに。
不自然に過ぎる外出から、幾日も帰って来ない。
なのに弁慶はおろか、彼女の保護者である景時も、更には望美まで何も言わない。
これを不自然と言わずして、どう名付けるのだろう。
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