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知盛に足留めされている間に、平家は船を出したらしい。
すぐにも追うと気が逸る九郎に対して、望美が怒鳴っている。
だが結局、大輪田泊に向かう事が決まる。
そこでもまた、この手を罪に染めて行くのだ。
逃げる為、海に漕ぎ出す平家の船。
逃げ場のない船上に、火矢を放つ。
多くの命が奪われると知っていて尚、それを命じたのは弁慶。
蒼い海が紅く染まる。
炎と、血と、罪の色に。
たった今、海上では多くの命が消えてゆく。
弁慶は行く末をただじっと見つめていた。
息を切らす呼吸音と足音が聞こえたのは、その時。
「弁慶さん!?これは一体‥‥‥」
‥‥‥よりにもよって、面倒な人物に見られてしまった。
弁慶は嘆息すると、ゆっくりと背後に眼をやる。
手にした長刀が、ズシリと存在を訴えるけど。
‥‥‥今はまだ、その刻ではない。
だから弁慶は口を開く。
「望美さん」
君の考えは、綺麗過ぎる。
君の口から零れる理想は、甘過ぎるんですよ。
自分を非難する望美に現実を教えてやりながら、弁慶はふと思う。
もしここに彼女がいたならば。
もし追いかけて来たのが彼女なら、どう思うのか。
目の前の望美のように、怒りを露わにするのだろうか。
それとも‥‥‥‥‥。
「‥‥‥せんせい‥‥‥?」
うっすらと眼を開けたゆきの眼に飛び込んだのは、緩やかに波打つ黄金の髪だった。
長い間出していなかったかのように、声が喉に張り付いて上手く出ない。
「わ、たし‥‥?」
「ここは京邸だ。案ずることは何もない‥‥‥もう少し寝なさい」
ゆきの言いたいことが伝わったのだろう。
眼を和ませたリズヴァーンが褥に横たわる彼女の髪を優しく撫でた。
懐かしい父と同じ、落ち着く土気を感じる。
このまま眠りに落ちようとしたゆきだったが、寸での所で踏みとどまった。
「‥‥‥戦‥‥」
一瞬、リズヴァーンの眼が細められた。
誤魔化そうとすれば出来たであろうが、彼にはそんなつもりなどない。
ひとつ息をつくと、簡潔に説明してくれた。
あれから望美たちは平知盛を退けたこと。
知盛が足止めをしてる間に、既に平家の者は海に逃れたこと。
深追いを止めて戻って来たのは、京で怨霊を放つ者がいると聞いたからだと。
「‥‥‥そう、ですか‥‥‥」
(だったら、将臣くんは捕まってないんだね)
もし将臣が捕まっていたなら、リズヴァーンはもっと違う言い方をしただろう。
床につくゆきがいたずらに起きたりしないよう、もっと違う言い方を探すはず。
そうしないという事は、将臣は無事なのだ。
ゆきはホッとして、はぁ‥‥‥と息を吐いた。
するとどっと瞼が重くなった。
「まだ安静が必要だ、寝なさい」
眼を閉じながら聞けば、父とそっくりな声、そして抑揚。
幼い頃、頭を撫でながら寝かしつけてくれた事を思い出す。
急速に沈んでいく意識。
本当に聞きたいことは、別にあったのに‥‥‥。
望美ちゃんはどうしてるの?
そして、弁慶さんは?
「神子、ゆきはもう眠った。入ってきなさい」
「‥はい」
望美が室内に足を踏み入れ数歩。
剣の師の隣に腰を落とした。
ゆきの寝顔は幼く見えた。
だからだろうか、腕に厚く巻かれた包帯が一層痛々しく見える。
「先生‥‥‥前に聞いたことをもう一度訊ねてもいいですか?」
肯定の意を眼差しで伝えるリズヴァーンを見、望美はゆきに再び視線を落とした。
「先生は、この運命に出会いましたか?」
答えは否。
望美にだって、分かっているのだ。
前に聞いた時だって同じ答えだったから。
リズヴァーンは決して嘘など言わない。
決して誤魔化したりしない。
答えられない時は、そう告げる。
分かっている、けれどどうにかしたかった。
何度時を繰り返しても、結局彼女を失ってしまう。
今度こそ大丈夫だと思ったのに。
このゆきなら、
陰陽師の彼女なら、きっと運命を変えられると思ったのに。
「先生。私、どうしても変えられないんです。ゆきちゃんの運命」
「‥‥‥神子。お前はまだ辿りついていないのだろう。ゆきの運命の、その源に」
「また繰り返さなければいけないんですか?」
リズヴァーンは何も言わない。
望美は宙を見据え、考えた。
(一体、何が足りないんだろう)
それは迷宮のよう。
悩むほどに、迷うほどに、深く絡めとられていった。
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