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深く胸の奥で涙が残る。
熱もあるからだろうか。
酷く頼りない思考に、ゆきは嵌まっていた。
―――だから。
ゆき達に 迫るものに気付かなかった。
(‥‥‥‥‥‥っ!!)
遅ればせながら殺気だ、と気付いて手が印を結ぼうと動く。
ゆきの張り詰めた鋭い気に反応したのか。
夕暮れの朱を照り返した銀の刃が、
頭の斜め上で煌く。
だが、反射神経を研いでいないゆきには、咄嗟に避ける事など出来ない。
ザシュッ‥と肉を切る嫌な音と共に、左腕に走る熱。
「‥‥‥‥‥‥あっ!」
焼ける様に熱い。
どくどく、と熱をもった場所に心臓が脈打つような感覚を覚えて‥‥‥ゆきは自覚する。
(斬られた‥‥っ!!)
「‥‥‥ほう。鋭い気を放つ、と思えば‥‥‥丸腰の女、か」
振り向いたゆきの視線の先にいたのは、刃の色を髪に宿した男だった。
信じられない、と言った表情で男を見上げるゆきの前に、さっきの兵が立ちはだかった。
余りの速さで男が動いたから、反応が遅れたのだろう。
そんな自分を責めているかのように、 ゆきの壁となる。
「ゆき殿!申し訳ありません!」
「‥‥‥いえ、平気です‥‥」
返す自分の声があまりにも、平気とはかけ離れている事にすら気付かなかった。
男はゆきを斬りつけたこともどうでもいいように、面倒臭そうに立っていた。
背にした夕焼けが銀髪を朱銀に染めるように。
ただ、信じられなかった。
信じられなかった。
(どうして、この人が、私を‥‥‥斬るの?)
ゆきの腕からは、彼女自身が生み出した炎と同じ、
深紅が流れて落ちている。
深い傷からとめどなく流れるそれは、すでに地面を濡らしていた。
痺れる左側。
だがそれすらも気付かないのか、ゆきは‥‥‥呆然と男の名を呼ぶ。
「重衡、さん‥‥‥?」
「‥‥‥‥‥‥重衡?‥‥‥ああ。お嬢さんは我が弟と、お知り合いで‥‥‥?」
「‥‥‥弟?」
(そうだ、重衡さんとは全然違う‥‥‥)
少し見れば、全然違うのに。
あの、優しく緩む眼を、この男は持たない。
代わりに浮かぶ、愉悦と矜持。
『可愛いゆきさん』
目の前の男は、あんなに優しい声じゃない。
そして あの優しい人の、柔らかくて切ない気をこの男から感じない。
気付かなかったのは熱で鈍っているからだろう。
‥‥‥なのに、何処かで見知っている。
「あ‥‥‥‥‥‥」
腹部にある、
とうの昔に塞がった筈の傷口が
痛みを訴え始めた。
「ゆき殿!?」
「‥‥‥‥‥‥」
ゆきの血で濡れた、刀。
そしてもう一つの刀は眩い銀光を放っていて。
心の一番奥、揺さぶられ蠢く恐怖。
『‥‥‥殺すには、惜しいがな‥‥‥』
「‥‥‥あ‥‥‥‥やだ‥‥‥‥‥‥」
政子に感じたものとは別の、 恐怖がそこにあった。
「ふん、くだらんな‥‥‥」
「ゆき殿っ!!」
ゆきを守ろうと刀を抜いた兵が、二本の刃の前に一瞬で崩れていくのに‥‥‥
結界を張ってやる事すら出来なかった。
大地に足が根付いたように、ただ、見つめる。
二年くらい前に
京に流れ着いた時、
自分を殺そうとした男を。
ACT28.陰陽の理と紅炎
20071126
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