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今すぐ否定して欲しかった。


冗談ですよ、と。

慌てる君が面白くてつい、と。


いつもみたいに悪戯っぽく笑って欲しかった。



そうすれば自分も、

弁慶さんの意地悪!!って言いながら苦笑出来る。



そうして、いつもの様に二人でクスクス笑って、手を繋いで帰るのだ。



二人、一緒に

皆の待つ陣に




‥‥‥帰る。






なのに、目の前の弁慶は静かに佇むばかりだった。

女性とも見紛う容貌には笑顔ではなく、ただ静かに凪いだ表情を浮かべている。
やがて発した声は、感情すら読み取れないものだった。



「‥‥‥ですが、もう一つ方法があるとすれば」

「‥‥‥もう、ひとつ」



一体、彼は何を言いたいのだろう?



「具体的な事は言えません。ですが、その為に白龍の神子の命と逆鱗が必要なのだとしたら?」



弁慶の言葉は、まるで初めて耳にする外国語の様だった。

上手く頭で変換出来ない。


風がふわっと、外套の裾を吹き抜ける。

それが更にゆきの不安を煽っていく。



「今のように、怨霊を地道に倒して龍脈の気を貯めても‥‥‥どうしても時間は掛かり過ぎてしまう」

「だけど!白龍が大きくなったじゃないですか!?あと少しで」

「あと少しで白龍が元に戻ったとして、黒龍は?」


「え?黒龍‥‥‥」


確かに以前弁慶が言っていた。

『応龍の加護が必要』

だと。


応龍の加護を得る為には白龍だけでなく、失われた黒龍も必要。



「でも、白龍が戻れば黒龍も‥‥‥」

「‥‥‥それ以上はいくら君相手でも言う訳にはいかないけれど」



言えない、ではなく
言わない、と言った弁慶の眼は冷たかった。



「これ以上時間をかけていられない。こうしている間にも、京に住む人達は苦しい思いをしているのですから」



君も見たでしょう?
と、問い掛けてくる弁慶に、頷こうとして、動きを止めた。

彼の言うのは、五条大橋の麓に住む人々の事を指しているのだと、すぐに理解出来た。
諦めきった眼をしていた人達。
性格は苦しく、流行り病や飢饉に教われたら一溜まりもないだろう、人々の事を憂えていると。



「彼らにとっては、平穏な世界が早く戻ってくるなら、龍神だろうと別の神であろうと、構わないんですよ」

「‥‥‥嘘だよ、ね?」

「何を根拠にそう言うのかは分からないけれど‥‥‥今言ったのが真実だ、と言えば納得出来ますか?」

「そんなはずない!弁慶さんはそんな人じゃ‥‥‥っ」



首を振りながら、眼は逸らさずにじっと弁慶を見た。もっと違う言葉をかけたかったのに、とゆきは言葉に詰まる。



弁慶は、冷えきった眼をしていた。


この瞬間にもそれが冗談などではない事が、ひしひしと伝わってくる。



「‥‥‥ゆきは僕を買い被り過ぎですよ」

「違う!そうじゃない!あなたは!」

「少し黙って貰えませんか」」




ゆきの必死な声に被さり、冷たい声がその場を支配した。



今この瞬間にも、彼を信じたいと願っている。


『信じたい』、と願う事。

‥‥‥つまりは、信じていない事に繋がってしまう。


誰よりも大切だと思う弁慶を、ゆきは何故信じられないのだろうか。
そんな自分が本当に悲しかった。


何か理由があるのだと、それを聞き出せたなら、とばかり考えている。


現実には、弁慶は真実だと言い切って。
どこまでもその眼は冷たくて‥‥‥。



なのに、ゆきにはそれを認める事がどうしても出来なかった。
幾度‥‥‥幾百度聞いたって、信じられない。




「ねえ!本当は何か理由があるんだよね!?」

「理由など今言ったばかりでしょう?白龍の逆鱗と神子の首。それがなければ 「嘘だよっ!!!」




とうとう、ゆきの眼から涙が溢れてぽたぽたと地面を濡らす。


相変わらず静かに立っている弁慶。
だがその表情は、何を言っても納得しないゆきに、苛立って来た様に見えた。



「本当は政子さんに脅されたとか、仕方なく口裏合わせてるとか、そうなんでしょっ!?」


「‥‥君がそう思いたいのは勝手ですが、それを僕に押しつけないで欲しいですね」

「押しつけじゃないもん!」

「ゆき。いい加減に静かにしてください」

「やだよっ!!」



嗚咽と混じった悲痛な声で、ゆきは叫ぶ。

外套を掴んだ手に力を入れて‥‥‥縋り付いた。


至近距離で見上げた眼からは、一切の感情も読み取れぬまま。


口を閉ざすと全てが終わりそうで怖かった。






「だって、あなたが優しい人だって私は知ってる!!」

「‥‥‥君は本当に可愛い人ですね」



弁慶の手がゆきの頬に当てられた。
長く優美な親指が、ゆっくりと彼女の唇を辿ってゆく。



「そんなもの、嘘でも優しく出来るのに。君や望美さんの眼を誤魔化す事など、赤子の手を捻るより簡単でしたよ」

「違う!!あなたは、いつだって‥‥‥」














私を導いてくれたのに。















‥‥‥そう言いたかった。

いつも、いつだって、弁慶がいてくれたからゆきは努力し続ける事が出来た。

いつも、足元を支える柔らかで暖かい、大地の様な存在だった。



そしていつでも振り返れば、優しく笑ってくれて。



時々意地悪されても、キス‥‥‥されても、決して嫌いになれなかったのは、その優しさを知っているから。



「わ、私の‥‥‥知ってる弁慶さんはそんな人じゃない!!」



悲しいかな。
言った瞬間に分かってしまった。

今の言葉は、導火線の様なものだと。


案の定、冷えきった弁慶の眼差しは更に冷たくなり、頬を挟む手はゆきの首に移動した。







「‥‥‥君に何がわかるんですか?僕の、何を」






ああ、なんて。
どこまで冷たい声で斬り捨てるのだろう。

ゆきを。



(私は‥‥‥私の知ってる弁慶さんは、優しくて‥‥‥)



「私の知ってるあなたは、いつもっ‥‥っ‥‥んんっ」


至近距離で尚も糾弾するゆきの胸倉を掴み、弁慶は強引に引っ張った。

男の力に敵わず、胸に倒れ込んだゆきの呼吸を唇ごと奪う。


‥‥口接けられた。



「んぅ‥‥‥んっ‥‥」



貪るような激しさに息が苦しくなる。
頭が痺れて、クラクラした。



 







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