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嫌な予感程当たるとはよくいったもので。
やっぱり弁慶は政子と共にいた。
丁度弁慶の背後に、木陰が身を隠す絶好の場所を見つけたゆきは、そこに移動する。
ここからは外套の後ろ姿しか見えないが、声は聞き取れるだろう。
ゆきは息を詰めて身を潜めた。
「‥‥‥ですから、もう少し先の方がいいでしょう」
(何の話だろう?)
途中から聞き出しても、ゆきにはさっぱり分からない。
だが、最後まで聞かなければならない気はした。
「ええ、そうですわね。ここだと確かに平家がいるわ。隙を突かれては一大事。
‥‥‥さすがは弁慶殿。先を見据えているのね」
クスクス笑う軽やかな政子の声に、弁慶は同じ調子で笑いを重ねた。
「政子様にそう仰って頂けるなんて光栄ですね。僕の先見など、たかが知れていると思っておりましたから」
「うふふっ。ご謙遜が本当にお上手だこと。鎌倉殿は弁慶殿のお力をとても見込んでらっしゃるのよ」
「一介の軍師には勿体ないお言葉ですよ、政子様。‥‥‥では、この戦が終わってから、で宜しいんですね」
弁慶が問い掛ける。
瞬時にそれまでの柔らかい空気は立ち消え、代わりに張り詰めた糸のような緊張感が漂った。
ほんの一瞬。
ゆきの位置から、政子が睨むように眼を細めたのが見えた。
背後にいるので分からないが、恐らく弁慶も真顔になっているのだろう。
「‥‥‥ええ。失敗は許されません。くれぐれも」
「僕の事なら大丈夫です。九郎達に疑われる事もないでしょう」
次の言葉を口にするまでの一瞬の、喩えようのない感覚。
この先を言わないで、と願ったゆきは正しかったのか。
ひとつ呼吸をして、ゆっくりと弁慶が口を開いた。
「必ず白龍の逆鱗と、神子の首を鎌倉殿の御前に」
「うそ‥‥‥」
思わず声が漏れた。
はっと息を呑み、驚愕の表情で振り返る弁慶が見たもの。
それは、咄嗟に出た言葉を封しようと両手を口に当てる、ゆきの姿だった。
「あらあら。陰陽師のお嬢さんも来てらしたの?では私は、お邪魔かしら」
いっそ優しいとさえ言える声音で、政子はゆきに話し掛けた。
「ではお願いします、弁慶殿」
そのまま二人の側を通り過ぎながら、政子は愉悦の表情を浮かべていた。
政子の後ろ姿が見えなくなった。
気配が消えたのを確認して、弁慶は眼を伏せて溜め息を吐く。
何処かで分かっていた事だったが。と内心ごちて、眼を開ける。
まさか、この自分が彼女の気配に気付かなかったとは。
‥‥‥いや、それをいうならば、失念していた、と言うべきか。
普段から何処かぼんやりとしているゆきが、優秀な陰陽師となりつつある事に。
その気になれば気配を絶つ事など、本当は造作もないのだと。
ただ、彼女自身が普段からその力を使おうとしなかったから、こんな場面を想定していなかった。
「・‥まったく・・・君の無鉄砲さは知っていましたが、こんな所まで来るとは」
「‥‥‥弁慶さん‥・」
ゆきの顔は青褪めていて、大きな栗色の眼からは今にも溢れそうなものが揺れていた。
尋常でない会話だっただけに、まだ頭は付いて行けないのだろう。
「どうし、て・・・」
普段の元気さは何処に行ったのか。
掠れる声は小さく、弱くて消え入りそうだった。
「‥‥‥な、んで‥・?」
望美ちゃんの命を、狙うの?
言葉が喉に引っ掛かって、上手く、言えない。
けれどゆきが何を言いたいのか分かった弁慶は、答えを口にする。
簡潔過ぎるまでの答えを、あっさりと。
「京を救う為ですよ」
「‥‥‥は?」
(京を‥‥‥‥って)
それなら絶対に。
「望美ちゃんの力、いるよ‥‥‥?」
ゆきの問い掛ける様な言葉を聞いて、ふっと小さく笑った弁慶は、いつもの彼と何か違っていた。
何かが‥‥‥決定的に違う。
「ええ。そうでしょうね」
「分かってるなら、何で!?」
(どうしてこんな時に、普段の半分も喋れないのかな、私)
悔しくて、目頭が熱くなった。
逸る気持ちが先行して、言葉が上手く付いて行かない。
せめてもの代わりにゆきは、弁慶の外套の胸元を両手で掴んだ。
‥‥‥彼が、逃げないように。
何処かへ消えてしまわないように。
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