(6/6)
ではお待ちしておりますわ、との言葉が最後。
シュンッ!とリズヴァーンのように瞬時に姿を消した。
(怖かった‥・)
緊張の糸が切れたように、その場にぺたんと崩れ落ちた。
まだがたがたと震える体を両手で抱き締めて、ゆっくりと張り詰めた息を吐く。
怖かった。
頬に口接けられた時に走ったのは、純粋な恐怖。
以前に植え付けられた感情は、いとも簡単にゆきの思考を奪ってしまう。
怖くて何も考えられなくなるのだ。
助けを求めて、何度も彼の名前を呼んでしまう。
三草山で出会い福原で再会した、かの存在は。
北条政子という人の姿でありながら、その気配は決して人のものではなかった。
‥・怨霊、とも違う。
陰陽の理すら外れた、独特の存在が発する強烈な気。
‥‥‥と、ゆきは顔を上げる。
九郎と景時が、他の面々を連れて戻ってくる気配を感じた。
確か、政子は「森の奥に来い」と言った。
弁慶達に見つかればきっと、誤魔化してその場を離れる、なんて出来ないだろう。
厠に行ってきます作戦‥‥‥も、三度目はきっと通じない。
彼らの姿が見える前に、ゆきは近くの繁みに飛び込み隠れた。
真っ先に気付いたのは。
『弁慶がいない』
あの目立つ黒い外套が見当たらない。
その事がなぜこんなにも不安を覚えさせるのだろうか。
「あら?政子様がいらっしゃらないわ。兄上を呼ばれたのは政子様なのに」
「あ、ああほら忙しい方だからね〜!きっとすぐにこちらにおいでになるよ!!」
「‥‥‥そうだね。あれ?ゆきちゃんもいないよ」
突然出て来た自分の名前に首を竦めながら、ゆきは手印を結んだ。
「臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前」
九字を結び、自分の気配を周りの空気と同化させた。
これで気付かれにくくなるはず。
音を立てないように踵を返そうとするゆきは、強い視線を感じた。
一瞬このまま走ろうか、と思ったけど踏みとどまる。
今走ればきっと、足音を立ててしまい皆が気付いてしまうだろう。
それに無視して万が一でも声を掛けられてしまえば、全てが終わってしまうから。
そっと首だけ振り向いたゆきと眼が会ったのは。
(お願い。黙ってて‥‥‥景時さん)
彼は小さく頬を歪め、ゆきが森の奥へ消えて行くのを、
ただ静かに見ていた。
この時私は、激しいまでの胸騒ぎにおかしくなりそうだった。
弁慶さんがいない。
ただそれだけで、こんなにも‥‥‥
どうかどうか間に合って、と
意味も分からず何度も呟きながら、ただひたすら森の奥へと走っていった。
ACT25.落葉の序曲
20071101
前 次