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熊野から帰ってきて十日後の事。
翌日から、土御門に泊まり込んでの修行から帰ってきたゆきが、久し振りに梶原邸に帰ったのは昼過ぎの事だった。
そして、厨で夕食の準備をする譲から福原行きを聞く。
まだ九郎達とは顔を合わせていないので、これが初耳だった。
「わぎ?何それ?」
「平和の和に議論の議。俺達の言葉で言うなら平和条約の締結だな、元宮」
「ふうん‥‥‥源氏と平家が和議ね‥‥‥」
あんなにいがみ合っているのに、今更和議など成るのだろうか。
‥‥‥勿論、それが可能なら是非叶って欲しいけど。
平家にいる友と、平家に戻っていないという友の顔を思い浮かべる。
一瞬、祈るように眼を閉じて、ゆきは再び手元に集中した。
隣では譲が慣れた手つきで包丁を使い、手早く芋の皮を剥いている。
今日は朔が外出している為、夕食作りの助手はゆきが買って出たのだ。
譲が満足そうに笑う。
「元宮ってこういうのは器用だよな」
「へ?どういう意味?」
「そのままの意味。普段はアレだけどさ、料理とか手先は器用だなって」
「し、失礼だなあ!有川くん!!」
「だって本当の事だろう?」
「ま、まあ料理はね‥‥‥両親がいなくなってから、ずっと作ってたから」
「‥‥‥‥‥‥ごめん」
「あはは、何で謝るの?変な有川くん」
気を使わせたかな?と思い、笑ってみせる。
もう、両親が亡くなって何年も経つのだから、今更な話なのに‥‥‥。
それでもこんな時に気を回そうとする譲が、ゆきは好きだった。
それは、今でも変わらない。
想いを諦めた今でも、やはり譲の事は大好きで‥‥‥。
だから。
「有川くん、何かあった?」
身長差のある彼を真下から覗き込む。
厨に入った時からずっと気になっていた。
どんより重たい彼の気に。
そして青白い表情に。
「顔色悪いよ?」
「‥‥‥やっぱり、元宮には気付かれると思った」
包丁を持つ手が、止まった。
「最近、あまり眠れなくてさ」
「何か、怖い夢でも見たの?」
「夢、か‥‥‥」
呟く声はか細くて、つられてゆきも手を止めた。
「夢だったらいいよな」
「‥‥‥有川くん、きっと夢だよそれ」
明るく笑って、夢だと断言する。
小さく笑う譲を見て、ますます笑みを深くして。
本当は一緒に考えてあげたかったけど‥‥‥それはきっとゆきには出来ない。
譲は決して言わないだろうから。
「そうだよな。ありがとう、元宮」
「どう致しまして」
そしてまた手を動かし始めたゆきは、譲の憂いが全く晴れてなどいない事を感じていた。
力になれない事が、悔しかった。
「ごちそうさま!」
夕食を早々に終えたゆきはリズヴァーンの姿を探し部屋を出る。
「ゆき」
「あ、リズ先生」
夕闇に溶け込むように気配を絶つリズヴァーンに声を掛けられた。
恐らくゆきを待っていたのだろう。
熊野での話を覚えてくれたようだ。
「‥‥‥約束、覚えてくれたんですね」
「無論」
リズヴァーンは静かにゆきを見る。
しかし。
「それはもう、いいんです」
「‥‥‥」
リズヴァーンの眉が戸惑うようにしかめられる。
理由を問おうとして、止めた。
来るべき時が来れば話すだろう、と。
目の前のゆきが、眼を細めていた。
リズヴァーンを見つめて、まるで何かを懐かしんでいるように見える。
「‥‥‥先生は、地の玄武」
そこまで言った途端、ゆきは口を噤んだ。
うなだれた肩が小さく震えだす。
リズヴァーンは手を伸ばして、ゆきの頭を撫でてやる。
何か分からないが、思い悩んでいるのは事実。
「‥‥‥」
聞き取れない程に押し殺した呟き。
ようやくゆきは顔を上げた。
夜目の利くリズヴァーンの前で、大きな眼は赤く濁っている。
「いつか‥‥‥昔話を、聞いてくれませんか」
「ゆきが望むなら」
しっかり眼を見て頷いてやると、ゆきは笑った。
‥‥‥自分を通して、面影を追っている。
リズヴァーンの眼にはそう映った。
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