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景時が弁慶と話を終えて戻れば、相変わらず朔だけがその場に残っていた。
九郎とリズヴァーンはまだ稽古中。



「あれ、皆は?」

「まだよ」

「ええ〜、そうなんだ?そろそろ出発しないと、日が暮れるかな」



皆若いな〜、と景時は苦笑した。
特にゆきと望美。
二人は熊野に来てから、ずっとはしゃいでいる。

お陰で、ゆきが熱を出さぬ様、こっそり気を使うこちらも大変だったりするのだが。



「ふふっ、皆さん元気ですね。僕が様子を見てきますね」

「そうね。弁慶殿、お願いします」



朔に頷いて、弁慶は歩き出した。



残った兄に向かって、朔は溜め息を吐いた。
愚痴を零したい気分だったのだ。



「ゆきも休んでいればいいのに」



呆れた様に呟くのを聞いて、景時は小さく吹き出す。

確かに朔の言う通り、一行中で一番体力のないゆきは、こんな時に休んだ方がいいのだが。



「よっぽど嬉しいんだね、ゆきちゃん」

「でも、もう少し自覚を持って貰わないと」



彼女がいれば、自然と足並みが遅れてしまう。

普段から五条の京邸から、一条にある土御門邸まで徒歩で通っているといえ、
決して鍛えている訳ではないゆき。



彼女に熊野まで行く体力があるのか不安だった。

最初は九郎が言う通りに、土御門邸に彼女を預ける予定だったが‥。




『ゆきを預けるのは危険だよ、景時』



ゆきの師であり景時の顔馴染みでもある青年は、緩やかに首を振った。
あの時は不思議に思ったが、京を出発する前日に理由が分かった。

確かに今のゆきを見れば土御門家‥‥‥安倍清明の末裔の一族は動き出すだろう、と。
そして未だ制御し切れない、未熟なゆきを取り込む事など、赤子の手を捻るようなもの。



その辺の事情からゆきと共に行く事にしたのだが‥‥‥

最初に想像していたより、彼女はずっと元気だった。
熊野の清冽な霊気が、彼女に体力を分けているような気がした。





そこまで考えて、ふと隣の朔を見た。

‥‥‥こうして妹と肩を並べるなど、随分久し振りの事だと気が付く。
望美が来てから時間は常に変動し、日々が慌ただしく忙しい。
思いもよらない一時に、景時の頬は緩んだ。



「‥‥‥兄上、気持ち悪いわ」

「いやあのね〜、朔‥‥‥」



こちらを睨む妹に、どっと疲れた。













ヒノエと敦盛とゆきは楽しそうに話をしながら、どんどん先へと進んで行く。
追いつくべく走りだそうとした望美の肩を、将臣はぐっと掴んだ。



「譲、望美」



将臣が二人を呼ぶ。
足を止め振り返ると、将臣が二人を見ていた。

幼い頃から共にいれば、これが何を指しているのかすぐに分かる。

大事な話がある、ということ。



「ごめん!足が痛いから先に行っててっ!」



望美は前を歩く三人に、大きな声で呼び掛けながら手を合わす。



「望美ちゃん、大丈夫?」

「うん大丈夫!将臣くんと譲くんと休憩してから戻るね」



分かった!と元気な返事と共に奥に行く三人。

その姿が小さくなる頃、譲が口を開いた。



「‥‥何だよ、兄さん」

「ひとつ聞きたいんだが、弁慶ってあの弁慶か?」

「あの弁慶ってなに?」

「‥‥‥お前な。歴史で習った常識だろうが」



頭を掻きながら聞く将臣に、望美はわざと惚けて見せる。

こんな時いつも補足してくる譲は、今は黙っている。
どう答えるべきか逡巡しているのだろう。




‥‥‥望美は知っていた。



平家の総領である将臣が聞きたいのは、弁慶が『武蔵坊弁慶』であるかどうか。
つまり彼は源氏の人間なのか、と。



「将臣くんだって授業中いつも寝てたくせに!」

「俺とお前では頭の出来が違うんだよ。残念だな、望美」

「春日先輩をからかうのはやめろよ。それから、聞いてる内容がよく分からないだろ」

「わかったよ。だからさ‥‥‥五条大橋で牛若丸に負けたあの弁慶かって聞いてんだよ」



望美が今まで辿った時空なら、ここで答えるのは自分ではなく‥‥‥。



「僕がどうかしたんですか?」



そう、当人が答えている。

いつの間にか気配もなく、弁慶がやって来ていた。



「‥‥‥まぁ本人に聞くのが一番早いか。弁慶、お前、源氏の家来か?」



将臣は肩を竦めて、率直に聞いた。
流石と言うか、唐突な質問にも弁慶は眉一つ乱さずに、いいえと否定する。



「この時勢、源氏の家来が熊野をふらふら出来る訳ないじゃないですか」

「それもそうか。つまらない事聞いて悪かったな」

「構いませんよ」




どれが嘘かどこに真があるのか、掴めない。
この笑顔を見る度に、いつも望美は胸が痛んだ。
二人は、昨夜の事などさっぱり忘れたように、話をしている。


今までの時空で、望美が何度も見たこのやり取り。



「そういえば、ゆき達はどちらへ?」

「元宮ならヒノエくんと敦盛さんと奥へ行きましたよ」

「そうですか‥‥‥もうすぐ出発ですし、迎えに行ってきますね」



相変わらず感情の読み取れない笑顔。


‥‥‥だけど、


将臣と行動するようになってすぐ、弁慶は呼ぶようになった。




「ゆき」と。





それは今迄の、望美が知るどの時空にもなかった事。



(もう、間に合わないのかな‥‥‥)



さして急ぐでもなく歩く黒い外套を、望美はじっと見つめていた。




諦めるのはまだ早い。
‥‥‥諦め、られない。






  


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