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「ありがとう将臣くん。おやすみ」
まだ顔色は悪いまま。
小さく笑ってさえ見せるゆきの姿に、将臣も同じ様に笑う。
「また明日な」
「うん」
そのままゆきが宿の中に入って行くと、将臣は肩を竦めた。
ここが暗闇で良かった。
言葉なら幾らでも誤魔化せる。
だけど、ゆきに顔を見られればきっと気付かれただろう。
自分が彼女に何を求めているか。
(分の悪い賭けみたいなモンだよな‥‥‥)
ゆきは愛されている。
八葉の皆に、朔に、望美に、白龍に。
そして彼女も、皆を愛している。
彼女の性格を考えれば当然なのかもしれないが、将臣には複雑だった。
元々ゆきは、決して人懐っこい性格などではなかった。
笑顔を浮かべながら、何処か他人を拒絶していた。
思春期に差し掛かる前に、両親を揃って亡くしたからかも知れない。
交通事故という、突然の別れ。
譲からそれを教えられた時に、ゆきの人見知りの原因がそこにあるのだと、納得した。
愛情を痛切に求めながら、失うのを恐れて手が出せない。
それが元宮ゆきを形造るものだった。
最初は譲。
そして望美。
それから、やっと自分に向けられ始めた、ゆきの心からの笑顔に気付いた‥‥‥
直後、運命は自分達を引き離した。
再会した時に気付いた。
迎えに来た弁慶に向けた、信頼の眼差しに。
弁慶がゆきに対して浮かべた眼差しに。
彼女は自分の『家』を見つけたのだと‥‥。
ACT21.流るる言葉と繋いだ手
動揺しているゆきは気付かなかったのだろう。
‥‥‥さっきまでの、肌を突き刺す様な気配に。
あれは戦場で感じる、将臣にも馴染んだモノ。
静かな殺気にも似た牽制。
彼女を譲らない、と言わんばかりの。
十中八九あの男だろう。
殆ど会話も交わしていないが、それでも判る。
一見、柔和そうに見え、実は一番危険な存在だと。
敵に回すには厄介な男。
‥‥‥やがて、静かに彼の気配も消えて、ようやく将臣は深い息を吐く。
緊張が緩むと、気配がもうひとつあったと気付いた。
隠れているのかいないのか、そもそも隠れる気すらないだろう、馴染んだ気配。
一瞬どうすべきか迷ったが、将臣は背後に向かって声を掛けた。
「‥‥‥覗き見なんて趣味が悪いんじゃねぇか?望美」
「あ、バレてた?」
「バレバレ」
暗がりから姿を現すと、望美は将臣の正面に立った。
「ゆきちゃんに気付かれるかと思ったんだけど‥‥‥さすがにそんな余裕はなかったんだね。あの人にすら気付かなかったもん」
あの子は時々、人の気配に凄く敏感になるから。
と、呟く望美の眼は遠くを見ている。
そんな望美がいつもよりずっと不安そうで‥‥‥。
幼馴染みの自分だから判るのだろうか。
何か自分に話があるのだろう。
そう思ったからこそ、声を掛けたのだが。
「‥‥‥何かあったのか?」
望美は小さく笑った。
「ゆきちゃんに告白するのかと思った」
「するか。そんな話題じゃなかったし」
「‥‥‥でも、好きなんだよね?」
女としては強い力で腕を掴んでくる。
何を冗談を、と思ったが、あくまでも望美の眼は真剣だった。
腕を掴む望美の指先が、白んでいる。
それ程に力が入っているのだという証拠なのだろう。
‥‥‥眉を顰めた将臣に、望美は泣きそうな顔で再び聞いた。
「好き、なんでしょ?ゆきちゃんの事」
「‥‥‥‥‥さぁ、な。俺にもよく分からない。色恋なんざ、してる暇もないからな」
正直に将臣は答えた。
自分は平家の一族の命運を背負ってここにいる。
熊野に来たのだって、熊野水軍の力を要請する為。
たまたま行き先が重なったから、八葉だ、と言われるまま望美達と行動を共にする事にしたが‥‥‥。
それも、本宮まで。
戦が迫っている。
平家の明暗を掛けた、負ける訳にはいかない戦いが。
「お願い、将臣くん。本宮で用事が終わって帰る時に、ゆきちゃんも連れて帰って」
「‥‥‥はぁ?」
「好きなら、連れて帰ってよ」
「お前、何を言ってるんだ‥‥‥?」
「ゆきちゃんはもう、譲くんの事、好きじゃないんだよ」
「‥‥‥望美」
低い声音で将臣が呼ぶ。
顔を上げた望美が見たものは、別の時空で対峙した、還内府の様な将臣の眼。
静かな怒りを宿していた。
「自分の言ってる事をよく考えろ」
将臣にとって、さっきの望美の言葉は聞き捨てられなかった。
ゆきがどんな風に譲を見て来たか、少しは知っている。
どんな眼で譲と望美を見て来たか‥‥‥。
その想いを、望美が簡単に語るのは違う気がした。
「‥‥‥お前、人の気持ちをそんな風に扱うヤツだったか?」
「だって!だって間に合わないんだよ‥‥‥!」
意味深な言葉を吐いて、泣き出した望美。
意味が分からないながらも、将臣は望美の頭を撫でて宥めてやる。
頭の中でさっきの言葉を繰り返していた。
ゆきはもう譲を好きじゃない
何故それを、望美が知っているのだろうか。
ゆきが自ら口にするようには思えない。
そして何故、こんなに望美が焦っているのか。
ゆきを、連れて帰る。
それは余りにも無謀な事だと、望美は知らないから言うのだろう。
自分は平家の総領。
いつ、戦で命を落とすか分からぬ身。
彼女を連れて行けない。
望美は泣き続ける。
泣かなかったさっきのゆきとは対照的に‥‥‥。
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