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深夜。
満月も一日過ぎ、十六夜と呼ばれる月が天高く登っている。
「‥‥‥わりぃ、待たせたか?」
「ううん、大丈夫だよ」
月明りを背に振り向くゆきは静かに微笑んだ。
そうか、と短く返事をして、将臣はゆきに見惚れた事を誤魔化した。
「話ってなに?」
「‥‥‥重衡の事だ」
「‥‥‥‥‥重、衡さん?」
心臓が高鳴る。嫌な予感がした。
聞きたくなくて、できる事なら耳を塞いでしまいたい。
「ゆき、お前‥‥‥俺達が普段は何処にいるのか、知ってるよな?」
質問ではなく確認。
将臣は分かっていたのだ。
ゆきが、将臣と重衡が平家の人間だと知っている事を。
(もしかして、私達が源氏の人だってバレてるの?)
「うん、知ってるよ」
「‥‥‥そうだろうとは思ってた。俺も重衡も一将として兵を率いていた」
「うん」
眼を合わせるのが怖くて俯いたゆきの顎を、将臣の指が掬う。
彼と眼が合った時ゆきは次に出る言葉に行き当たった。
「この前、三草山で戦があったんだが‥‥‥重衡が行方不明のままだ」
「‥‥‥‥‥っ!!」
全身から、力が抜けた。
重力に逆らって膝をつく。
震える手は地面を掴んだ。
「ど‥‥‥してっ!!」
「ゆき‥‥」
(生きて、って言ったのに!!)
絶望、とか、失望という気持ちはこんな時に使うのかもしれない、とゆきは思った。
どこまでも苦しくて、悲しくて、憤りを覚える気持ちを。
‥‥‥その三草山で最後に重衡と会ったのは、恐らくゆき。
最後に見た重衡の顔は、青空のように澄んでいて、哀しい位に透明だった。
『貴女の笑顔が大好きでした』
生きて、と懇願したゆきに見せた、いつもよりずっと深くて柔らかい微笑。
間違いなく、死を覚悟していたのだろう。
‥‥‥だけどもそれを、将臣には言えない。
言えば、ゆきが戦場にいる理由を問われてしまうから。
勘の良い将臣なら、すぐに源氏方の人間だと気付いてしまうだろう。
それは詰まる所、望美や譲、九郎達も源氏だとバレてしまう事を意味する。
哀しいのに、辛いのに、頭のどこかで冷静で
源氏と平家の確執について考えてしまう自分。
そんな自分に吐き気がした。
「‥‥ゆき」
地面に這う姿勢で震えるゆきを見兼ねて、将臣も膝をついた。
気配を感じ、顔を上げた彼女は泣いていない。
けれど壊れそうで、見ていられなかった。
「‥‥‥ゆきっ」
腕を伸ばして肩を掴み、華奢な身体を抱き締めた。
「まさおみ、くん‥?」
「こんな時は泣いていい、誰も責めたりなんかしない」
強く抱き込んで、肩口に顎を埋める。
小さく首を振るゆきの動きを封じようと、更に深く。
将臣の視界に広がる、ゆきの髪が頬に触れる。
入学したてのゆきと初めて会った時から、ずっと触れたいと思い、偶然を装って触れて来た髪。
洗い立てのそれは、指が流れる程真っ直ぐで細く冷たくて。
鼻腔をくすぐる甘い香りに、将臣は眼を閉じた。
結局、ゆきは泣く事はなかった。
その理由にゆき自身が思い至るのは、もう少し後の事。
ACT20.夜風にそよぐ髪の香
20071004
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