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「ん・・・・・あぁ・・・・・・・」
ゆきの目の前で紫の髪の少年が、先程から唸っている。
眉を苦しそうに寄せ、唇からは掠れるように小さな声が零れるその姿は、見ているゆきも辛くさせる。
側に付いているゆきは、竹の水筒を傾けて布を浸して、彼の汗を拭き取った。
(この人も、八葉・・・・・・)
望美から聞いた時は驚愕した。
(どうして・・・)
望美はこの事を知っているのだろうか?
他の八葉は?
知らないのなら、言った方がいいのだろうか。
彼が・・・・・・・・・怨霊が、八葉である事を。
そう、この少年は紛れもなく『怨霊』。
彼を見た時、一目で分かった。
人の気を有してはいないと、分かってしまったのだ。
彼の体に生命の息吹を感じない。
・・・なのに、驚愕は覚えたものの、怖くはなくて。
(怨霊なのに、綺麗な水気を感じるからかな)
恐怖を感じないのは、流れる水の気を宿しているからだろうか。
気になるのはもうひとつ。
どうやってあの結界を超えたのか?
自分が張った怨霊用の結界は、未だ破られてはいない。
弱っていても彼は怨霊なのだから、中には入って来れない筈なのに・・・。
自分の力が弱いからなのか、彼が八葉だからか。
白龍の神子の神気のお陰だとは知らないゆきは、首を傾げながら考えていた。
暫く彼の汗を拭いながら思いを巡らせていたゆきは、近付く足音に顔を上げた。
「彼の様子はどうですか?」
「・・・弁慶さん。相変わらずです、苦しそう」
「・・・そうですか・・・あぁ、ゆきさんも座ってて下さい」
彼の邪魔とならぬよう、腰を上げて場所を譲ろうとするゆきを制止して、弁慶は隣に座った。
そして慣れた手付きで少年の手を取り、脈を計り額に手を当て、傷口を見る。
やがて一通りの動作を終え、溜め息をついた。
「・・・・・・今夜、彼が頑張ってくれればいいのですが」
「危ないんですか?だって彼は・・・」
「ゆきさん?」
怨霊なんだから強い生命力を持ってるはず。
そう言い掛けたゆきは、慌てて違う言葉を口に乗せる。
「・・・・・・望美ちゃんが、彼は八葉だって言ってたから・・・」
「八葉?彼が?・・・・・・・・・そうですか」
「弁慶さん?」
額に手を当て黙り込む弁慶に戸惑いを感じた。
それは何処か、さっきの自分の感情と似てる気がする。
「・・・いえ。でしたら、何があっても彼には頑張って貰わないとなりませんね。望美さんの為にも」
「・・・・・・・・・望美ちゃんの為に・・・」
「そんな顔しないで。しばらくは僕も、彼に付いてますから」
「でも、他にも怪我した人は・・・」
「もう手当ては全て終わらせましたよ。それに彼が一番重傷ですから」
ね?と、
弁慶は微笑みながらゆきの頭を撫でた。
こんなに優しい弁慶を見たのは、随分久し振りな気がする。
瞼の奥が熱くなって、ゆきは俯いた。
「・・・ゆきさん?」
「・・・・・・元気になってくれるといいですよね、彼」
「そうですね。八葉が増えればそれだけ望美さんの負担も軽くなりますから」
(また、望美ちゃんだ)
弁慶の口から望美の名前が出ると、泣きそうになる。
慌てて俯いた顔を、上げられなくなっていた。
とても醜い感情を持っていると、自分で気付いてしまったから。
(そうなんだよね。有川くんも弁慶さんも、皆も・・・望美ちゃんの八葉なんだから)
彼女の事を第一に思うのは当然のこと。
分かり切った事なのに、何故だか胸が痛む。
(望美ちゃんが大好きなのに、何でこんな気持ちになるんだろう)
彼女に会うまで、毎日その身を案じてきたのに。
再会した時は本当に嬉しかったのに。
白龍の神子だと知った時は、自分も強くなって彼女を支えたいと心底願ったのに。
なのに、ふと頭を掠めた思いは『後悔』。
再会しなければ良かった、と思ってしまった。
そうすれば、きっと彼は・・・・・・
浮かんだ面影は、ゆきの心をぎゅっと締め付けた。
この感情が嫉妬なのだと、彼女はまだ気付かない。
「・・・僕には言えない事ですか?」
「・・・・・・はい?」
没頭したゆきの思考を破る様に弁慶が言葉を紡ぐ。
あまりに唐突なそれに、意味が解らなくて顔を上げてしまった。
「ゆきさん・・・?」
弁慶が自分に目を止め、驚きの表情を浮かべている事に、首を傾げる。
その拍子につぅ、と頬を伝わるもの。
「あれ?」
堪え切れなかった涙が一筋、頬を滑っていった。
(私ってば泣いてる?)
恐らく一番厄介な相手に見つかってしまった。
彼は説明を求めて来るだろう。
目の前の弁慶の事も
譲や望美への気持ちも
重衡のことも
それから・・・
言えない事ばかり増えているのに。
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