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二人が陣に戻るのと、景時が着いたのは、ほぼ同じ頃だった。
二人を見つけた弁慶が、眉を顰める。



「遅いですよ、何処にいたんですか」

「野暮用だね」

「ごめんなさい、弁慶さん」



こんなに不機嫌を表に出す弁慶を、ヒノエは初めて見た。
戦の前だからかもしれないが、いつものように言葉に棘を隠さない。

それを指摘するつもりなんて、ヒノエにはないけれど。
















ゆきが陣の奥を見ると、九郎はつい先程到着した景時と、京の様子について質問している。



「京の防衛部隊の配置、どうなった?」

「大丈夫、街道を中心に防備を固めてあるよ‥‥‥‥法住寺殿も、きっちりね」

「助かった。これで背後を気にせず戦が出来る」



ちょうど話の区切りがついた頃、譲が休憩から戻ってきた。
まだ青い顔している彼に望美が気付き、大丈夫?と聞いている。



「もう大丈夫ですよ。心配かけてすみません」



譲は不安そうな望美に、優しく微笑んだ。







景時との話も一段落ついた頃、九郎が皆を集めて神妙に話する。



「相手は還内府だ。宇治川のようには行かないかもしれん」

「駄目です!このまま攻め込んじゃいけない!」

「‥‥‥望美?」



今から攻めよう、との九郎の言葉に、望美が激しく首を振る。



「平家の陣が本物かどうかも分からないし、危ないと思うんです!」

「オレも偵察した方がいいかなってちょっと思ったんだよ」

「景時まで‥‥‥」



今になって突然、偵察を求めてくる望美と景時に、九郎は怪訝そうに眉をしかめる。



「平家の陣を調べませんか。実は、陣は偽物なんです。還内府の罠です」

「それは‥‥本当か?」

「はい。嘘じゃありません」



衝撃的な望美の一言を受け、九郎達は更に議論を始めた。

勿論、生まれて始めての戦になるゆきは、敵兵だとか戦略だとか全く分からない。
だから邪魔にならぬよう、彼らの輪から少し離れて眺めていた。












真剣に議論する皆をじっと見つめながら、ゆきは胸に手を当てた。

初戦で緊張しながらも、ここにいられる自分を嬉しく思う。
その機会を与えてくれた望美には、いくら感謝してもしきれない。



ゆきは宇治川の時と同様、今回も師匠の元で留守番をするのだろうと、半ば諦めていた。
だが、望美の必死の説得により、九郎達を頷かせる事に成功した。



「ゆきちゃんの結界で、兵達を少しでも怨霊から守れるから」



と言われれば、彼らも否定出来ない。



(望美ちゃん、かなり強引だった気がするけどね)



思い出して吹き出した。






ゆきの中の怨霊への恐怖は、もうだいぶ薄れている。

鞍馬での一件の後、京でも何度か怨霊と対峙したが、怖いながらも立ち向かう事は出来る様になった。

もう、動けなくなる事は、ない。




(私に出来る事を、頑張らなきゃ)








『出来る事から始めましょうね』








ずっと以前、京に来た頃のゆきに言った、弁慶の言葉。
今でも、胸の一番大切な所で、息づいている。

何も出来なくて焦る自分を、何度も掬い上げてくれた尊い言葉。



その言葉があるからゆきは頑張れる。



(これから何があっても、弁慶さんを嫌える訳ないんだろうな)



彼は自分の命も心も、救ってくれた人だから。







ヒノエに『泣いていい』と言われた時、譲の事より、弁慶と望美の姿ばかり浮かぶ自分に気付いて、さっきは驚いた。
そしてそんな自分を奥底に封印する。




あり得ないから、と。










皆と共にいられて、

皆の力になれる事を

純粋に嬉しく思う。



今は、それだけでいい。












「ゆき、来てくれないか」

「はい」



九郎に呼ばれて、皆の元に向かう。
九郎を中心に円形に座り、地図を広げていた。

弁慶が少し場所を開けてくれたので、隣に座る。



「敵の罠かもしれないので、僕達は偵察に行きます。九郎と兵達はここで待機。
ゆきさんは――」

「じゃあ、私はここに残ります」



弁慶が言い終える前に遮った。
眉を上げる弁慶を無視して、ゆきは九郎の眼を真っ直ぐ見る。



「九郎さんと残ります。望美ちゃん達の留守中に怨霊が襲ってくるかもしれないし」



九郎さん一人じゃ大変でしょう?

と続けると、九郎が一瞬言い返そうとして、その後頷く。



「‥‥確かに、お前が結界を張ってくれたら助かるな」

「‥‥‥‥では、決まりましたね」



弁慶はてきぱきと地図を畳み、立ち上がった。



「僕達はそろそろ出発しましょう」



そう言って、弁慶はゆきを見た。



「気をつけて下さいね!」

「‥‥ありがとう。九郎を頼みましたよ、ゆきさん」

「任せて下さい!」



もう眼を逸らす事もなく、自分を見上げて笑うようになったゆき。



今までと変わらず、自分に普通に接する様になった。


‥‥‥あの神泉苑での口接けから暫くは、真っ赤になって、目を合せなかったゆきなのに。

一体どんな理由で吹っ切ったのだろうか。





普段と変わりないように見えて、ゆきが何処か遠く感じる違和感に、苛立ちを覚えた。







まさかあの夜の、望美との会話を見られていたとは。思いもよらなかった弁慶だったから。















ACT15.感じる距離






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