(2/4)





庭の真ん中、仄かに黄色い上弦の月の下に、弁慶が佇んでいた。
声を掛けた望美に振り返り、穏やかに微笑う。



「望美さんも眠れないのですか?」

「‥‥‥はい。弁慶さんも?」



弁慶は小さく頷いて、再び月を眺めた。
隣に行っても構わないと判断して、望美は裸足で庭に降りる。



「僕に何か聞きに来たのでしょう?」

「そんな風に見えました?」

「分かりやすいですからね、望美さんも」




―――彼女と同じで。




言外にそんな想いが込められていると感じるのは、望美の気のせいか。


いつもの黒い外套に覆われて、月を見上げたままの弁慶は、何だか儚くて‥‥‥。

望美は余計な事を口走りそうになるのを堪えた。


沈黙が流れる。
そして、その時間を終わらせるのは、望美。



「弁慶さん、ゆきちゃんに何をしたの?」

「‥‥‥‥‥随分と率直な質問ですね」



呆れた眼で弁慶は答えた。

その視線を真っ直ぐに捉えたまま、望美は眼差しに力を込める。
ここで眼を逸らしては、後々後悔するだろうから。



「まるで嫉妬しているみたいですよ、望美さん」

「‥‥‥そう取ってくれても構いません」



少しばかり棘のある声で答えて、望美は弁慶の腕を掴んだ。
その細い指先に、弁慶は視線を落とし、一度だけ喉を鳴らす。



「そう取ってくれても、ですか‥‥‥‥面白い、事を言いますね」

「‥‥‥っ!」



面白い、の部分に力を込めて返せば、案の定真っ赤になる望美に、弁慶は小さく笑った。
望美の手を取り、自分から引き剥がして、事も無げに告げる。



「傷心のゆきさんに、少しばかりつけ込んだだけですよ」



ただ、それだけだと。


いとも簡単に言ってのける男に、望美はかぁっと怒りが込み上げた。



「つけ込んだって‥‥‥最低じゃないですか!!」

「そうでしょうね」

「そうでしょうねって弁慶さん!!ゆきちゃんの気持ちを考え」

「では君はどうなんですか?」

「‥‥‥え?」



感情のままに吐き出そうとする望美の腕を掴み、引き寄せる。

一歩前へ踏み出した、望美の顎を捉えて上向かせると、視線がぶつかりそうな至近距離。
自分を見る弁慶の眼は、醒めた月のようだった。



「ゆきさんと譲くんの気持ちも知っていて、僕にそんな事を聞く君は?」

「‥‥‥‥」

「僕がさっき、『傷心の彼女』と言った時、君はその理由が判っていた。違いますか?」

「っ‥‥‥‥」




唇を噛み締めて俯く望美を見て、弁慶は顎から手を離した。
かっとなった自分が、少し情けない。



「‥‥‥すみません。つい、言い過ぎてしまいましたね」

「‥‥大丈夫です」

「では、僕はもう休みます。明日は早いですから、君も寝た方がいいですよ」



そう言って、弁慶は背を向けて歩き出す。



(あ‥‥)



望美は彼の名を呼ぼうとする。
だが、声がでない。
その代わりに、伸ばした右手で外套の裾を掴む。



「‥‥‥まだ何か?」

「教えて。ゆきちゃんの事、好きなんですか?」

「‥‥全く、君といい、ヒノエといい‥‥‥」



呆れた様に呟いた後、肩越しに振り向いた、その眼は。



「僕はゆきさんに恋をしてはいません。先日の事も出来心で、した事ですし」



苛立ちを帯びていた。




今度こそ、弁慶は邸の中へゆっくりと歩いていった。




「‥‥‥‥‥」



夜半に上着も纏わずに庭へ出るのは、身体を芯まで冷やす行為だと、ふと望美は思った。
しかも、裸足で。

さっきは夢中で弁慶の元へ向かったから気付かなかったが。



「‥‥‥ごめんね、ゆきちゃん」



身体が震えるのは、冷えたからか、それとも‥‥‥。
自らの身体をぎゅっと抱き締めた。


もう、廻り始めてしまった。
何もかも。










弁慶が立ち去る少し前、廊下を走る小さな足音に、弁慶も望美も気付いていなかった。









(なんだ、そうだったんだ)



さっき見た二人の影が焼き付いて離れない。



(からかわれてたんだ、私)



女性に困らない弁慶。
彼が自分の様な小娘を、まともに相手するはずないのに。



(私ひとりでドキドキして、損した)


廊下にいるゆきからは、二人の影が重なって見えた。



(もう、悩まなくていいじゃない)



部屋に戻ったゆきは、ふっと笑った。


指先は、無意識に唇を撫でていた。







BACK
栞を挟む
×
- ナノ -