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鞍馬から帰って来て、一週間が過ぎた。
「弁慶さん!」
「ゆきさん、おはようございます」
「あ、はい、おはようございます。‥‥‥じゃなくて、もう動き回っていいんてすか?」
ゆきが心配するのも無理はない。
弁慶の傷は思ったより深かった。
あれから弁慶は、傷が深いのと、傷口から発する高熱で三日間程寝込んでいた。
三日ぶりに目が覚めると、隣で看病していたらしいゆきがすやすやと眠っていた‥‥あの時。
‥‥‥何とも言えない気分になったのを、覚えている。
「もう傷は塞がりましたから」
「‥‥‥大嘘つき」
ゆきが下から睨み付けると、弁慶は吹き出した。
「嘘吐きに、大が付きましたか」
「大判振る舞いです」
「ふ‥‥あははははっ‥‥‥つっ!‥‥」
笑いすぎて傷口が痛い。
「ほら!やっぱり大嘘つきじゃないですか!」
「ばれましたか」
「‥‥‥もう!」
でも、良かった。
怒ったかと思えば次の瞬間にはホッとした顔のゆきに、釣られて弁慶も笑顔になる。
ふと、悪戯を思い付いて、ゆきを手招きした。
「?はい」
自分の前に寄ってきたゆきの手を引っ張って、
「えっ‥‥」
倒れ込んで来た彼女の頬に、音を立てて唇を当てた。
「‥‥‥‥なっ!なんでこんな事するんですか!!」
「君があまりにも無防備だからですよ」
「だって、それはっ」
真っ赤になってあたふたしているゆきを見て、弁慶の気持ちが少し落ち着いた。
(本当に彼女は警戒心がなさすぎる)
それとも自分は『男』と思われていないのか。
彼女に取って、男は譲だけなのか。
一度、確かめてみたいと思った。
「‥‥‥もしも、僕が悪い人間で、君を騙していたらどうするんですか」
「‥‥騙しているんですか?弁慶さん?」
「さぁ、どうでしょう?」
首を傾げて見せれば、
「すぐはぐらかすんだから」
とかぶつぶつ言っていた。
面白い。
やがてゆきは、弁慶の顔を見上げてにっこり笑う。
初めて会った時から何度も見た、花が開くような、笑顔。
「いいですよ。弁慶さんになら騙されても」
「‥‥‥‥‥‥は?‥‥」
今、彼女は何と言ったのか?
「私は、京に来た時に死んでいたかもしれないんです」
「ゆきさん‥?」
「あなた達が私を助けてくれたから、今、私はここにいるんです」
「‥‥‥‥」
口を挟むのが勿体なくて、弁慶は静かに彼女を見ていた。
それに、とゆきは続ける。
「弁慶さんは、いつも私を助けてくれた‥‥‥‥とても、とても、大切な人」
「‥‥‥‥‥」
笑みが深くなる。ゆきは更に続けた。
「だから、弁慶さんになら騙されてもいい。泣いたり嘆いたり、すると思うけど、絶対に恨んだりしません」
泣きそうに笑う、というのはこんな時なのだろうか。
今、自分はそんな顔をしているのかもしれない、と弁慶は思った。
「君は、本当に‥‥‥‥」
声が、掠れているのが解る。
更に何かを言おうとしたゆきに、よく知る声が掛けられた。
「姫君、お待たせ」
「あ、ヒノエ!‥‥じゃあ弁慶さん、おつかいに行って来ます!」
「おつかい、ですか?」
問いながらじろりとヒノエを睨んだ。
ヒノエは肩を竦めている。
「はい、朔に頼まれたんです。油と醤油と味噌と‥‥だから、ヒノエに荷物持ちをお願いしたんですよ」
「‥‥‥‥凄い買い物ですね。怪我をしてなければ、僕も付き合うのですが‥‥」
「嘘吐くなよ」
「ふふっ、くれぐれもゆきさんの言う事を聞くんですよ、ヒノエ」
「あんたに言われなくても解ってるよ、怪我人」
「ゆっくりして下さいね!行ってきます、弁慶さん!」
元気良く手を振るゆきと、やれやれ、といった感じに歩き出すヒノエを見送り、溜め息がでた。
(君は、本当に‥‥‥‥‥馬鹿なんだから)
そんなに単純に人を信じるな、と言ってやりたい。
特に自分の事など、信じるだけ傷付くというのに‥‥‥。
(君は本当に、馬鹿で単純でお人好しで‥‥‥)
暖かい。
『‥‥‥‥とても、とても、大切な人なんです。だから、弁慶さんになら騙されてもいい。泣いたり嘆いたり、すると思うけど、絶対に恨んだりしません』
恋の告白のように、頬を染めた訳ではない。
彼女は自分に恋してなどいない。
そして、自分も‥‥‥。
けれど、きっと恋などより遥かに強い想いがそこには存在しているらしく、それが弁慶には痛かった。
彼女を守りたいと思う一方で、壊れていく彼女を見てみたい自分がいる。
この気持ちを何と呼べばいいのか。
まだ、答えの見えぬ、夢の花。
→おまけ
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