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昨日の突然の雨が嘘のように、陽光が眩しかった。
「元気でな」
「はい、堪快様もお達者で。ありがとうございました」
「‥‥‥‥本当にいいのかい?あいつに何も言わなくて」
「いいの。昨日はありがとう、ヒノエ」
彼を迎えに寄越してくれて。
彼と十年越しの再会をさせてくれて。
そして、今日の事を黙ってくれて。
様々な思いを込めて礼を言えば、なぜか別当親子は苦虫をつぶしたような顔をした。
それがやけに引っかかって問いかけようと開く。
けれど同時に割り込む第三者の声に、閉ざせざるを得なくなった。
「頭領!お迎えが」
「ああ、わかった」
一言だけのやり取りが、却って現実味を帯びていた。
「では、行きます」
「ああ‥‥‥辛かったらいつでも戻って来い」
「そうだぜ?姫君の為なら俺も一肌脱ぐからさ」
「‥‥‥‥ありがとう」
泣きはらした眼にヒノエの笑顔は眩しかった。
実際に、この話を断れば熊野とて無傷でいられないかも知れない。
源氏と平家が争うこのご時世。
中立の立場を貫かんとしている熊野まで、戦火に巻き込まれるのは嫌だった。
後白河院に、舞を見初めて貰って五年近い。
『余の為に舞ってくれぬか』
それが何を意味するのか分からないほど子供じゃない。
幾度もお断り申し上げたことに痺れを切らしたのか。
この申し出を断れば、言いがかりを付けられそうなほど、今回だけはしつこくて。
オレの許婚になればいい。
と院からの正式な要請書を片手にヒノエは言ってくれたけれど、それもきっと一時凌ぎ。
実際に結婚する事はないといずれ知られるだろう。
ならば潔く院の御許へ行こうと、自ら決意したのは三月前のこと。
「でも平気よ。舞姫はどこでも舞えるもの」
軽やかに笑うと踵を返した。
院からわざわざ寄越された駕籠が、那智に着いたと言うのでそこまで徒歩で向かう。
一舞姫に、破格の好意。
それが却って重苦しかった。
「‥あっ」
「何か?」
「いえ‥‥‥‥少しだけ宜しいでしょうか?」
「は?」
「ずっと育ててくれた熊野に、この地に感謝の舞を捧げたくて‥‥‥」
「はぁ‥」
山道を下り切った時に遙香が足を止めて懇願してくる。
院の元から彼女を迎えに上がった男は、怪訝そうに眉を顰めた。
けれど、神聖な熊野の地に感謝の舞を捧げたいと言う願いを断れば、神罰が下るかも知れない。
そう思った男は、「院から一刻も早くと急かされているが、ほんの一時なら」と許可した。
「ありがとう」
小さく礼を言い背負っていた荷を下ろす。
堪快やヒノエから餞別にと賜った、大切な舞道具の中から扇を取り出す。
音もなく舞い始める遙香は
舞そのものが楽のよう。
扇を構えて身を翻せば、後は自身が言葉になる。
‥‥‥さっき空を見上げた時に飛び込んだ、黒い外套。
山の中腹できっと、遙香を見送っている人物。
この心がせめて、彼に届くようにと祈りを込めて舞う。
『もう一度、二人で楽しくいられたあの日々をやり直す事が出来たなら‥‥‥君は何を望みますか?』
この問いを発した時、弁慶は全て知っていたのだと今さらになって気付いた。
こっそりと見送りに来てくれていると言う事が、何よりの証拠。
「馬鹿ね、弁慶」
‥‥‥本当に馬鹿ね。
どうして言ってくれなかったの?
とっくに知っているんだと。
昨日掴まれた腕がまだ、熱い。
溢れそうな想いが熱となり、腕から胸を焦がしているからだろう。
けれど、舞っていれば涙も出る事ない。
その分この想いが、指先から風に乗って届くようにと願った。
忘れないで
どうかどうか、忘れてしまわないで‥‥‥
何処かでまた貴方に会える日まで、泣かないで舞い続けるから。
だから、どうか。
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