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「兄から伺いましたよ。君の舞は見るものを魅了して止まない、とか。京でも君の名声は耳にしていましたが、素晴らしいものだったんですね」

「やだ、そんなこと‥‥‥ねぇ、他に堪快様はなんて?」



幼い頃から弁慶と共に、歳の離れた兄のように慕ってきた。
その熊野の元棟梁が自分の事を話していた、と知って声が裏返りそうになってしまう。


堪快と弁慶は兄弟なのだから、自分の話が出て当たり前。


なのに、今は他にどんな話題が上ったのか、遙香は気に掛かって仕方がなかった。
後ろめたいことが大いにあるのだから。

逸る心を抑え、勤めて自然に訊ねた。
小さな努力は、弁慶が不振がる様子も見せない事から、成功したと思われる。



「そうですね。他には、君が相変わらず舞の指南中に居眠りをしていることとか、立ち上がる時に裾を踏んで転びかけるのを先日も見たとか」

「‥‥‥‥‥‥堪快様ってば‥」



緊張した自分が損をした気分。
密かに安堵の息を漏らせば、何を思ったのか弁慶の眼が緩んだ。



「ふふっ。やっぱり君のそんな所は変わってないんですね」

「褒めてないわね?」

「‥‥はははっ‥!褒めてますよ、これでも」



何がおかしいのか、暫く身体をくの字に折って笑う弁慶を遙香は睨んでやった。


堪快様も堪快様だ。
人の密かな失態を、よりにもよってこの幼馴染に告げるなんて。

意地が悪すぎる。


遙香の秘めた想いに気付いて、その上で話すのだからなおのこと。
少し腹を立て、反面やはり安心した。


どうやら堪快は、あの事だけは内緒にしてくれた様だ。



「失礼ね、これでも最近は礼儀作法を叩き込‥‥」



言いかけて慌てて語尾を窄めた。

ここ三ヶ月、何の為にみっちりと礼儀を叩き込まれたか。
しかも、堪快直々の指図で。


それを追求されれば困るのだ。





だが、弁慶は他の事に意識を取られている様子。

真剣な表情で、指先を額に当てていた。
それが彼の考え込む時の癖だと知っているから、遙香も何も言わず‥‥‥




‥‥‥もう一度
軒の向こうの雨空を見る。









雨が降り出してからそれ程経っていないのに、

もう弱く上がりそうになっていた。











彼が送ってくれるのは本宮まで


そこで、別れる。















「そろそろ動かないと日が暮れてしまうな‥‥‥行きましょうか」

「‥‥‥‥ええ」



遙香の視線に気付いた弁慶も顔を上げる。
そこにはもう雨の音が消え、代わりにぽつぽつと葉が水滴を落とす光景のみ。








弁慶の眼が切なく細められた気がした。

それはきっと、気のせい。






いま、遙香の胸を燻るのは
捨てなきゃいけない感傷だって、分かってる。








「こんな所で一夜を過ごすわけには行かないものね」



不自然なほどの明るい声を誤魔化すように、遙香は大きく伸びをした。


うーん、と限界まで伸ばして、同時に萎えそうな気持ちに渇を入れる。

ここで泣いてはいけない。
弁慶の前では、明るい幼馴染として残りたいから。



「‥‥‥‥僕はそれでもいいですよ」

「何を言ってるの」

「‥もう一度、二人で楽しくいられたあの日々をやり直す事が出来たなら」



下ろした腕を掴まれて振り向けば、いつの間に背後にいたのか。
静かな眼で見下ろす彼に、返す言葉が無くなってしまう。



「‥‥いられたら?」

「君は何を望みますか?」



眼差しが痛いくらいに真剣で、勘違いしてしまいそうで。



昔も今も、望みなんかたった一つしかない。

それを口にする機会はもう、失ってしまったけれど。







緊迫した空気が怖くて息を静かに吐き出せば、それすらも震えているように感じた。



「過ぎた事を話してもどうにもならないわ。それより、風邪をひくから早く行かなくちゃ」

「‥‥‥そうですね」




やっとの思いで口にした一言は、普段の彼の口調であっさりと返される。
そのまま離された腕を反対の手で包めば、熱がまだ残っていた。



「行きましょう、遙香」

「ええ」










残りの山道を黙々と登った。


本宮にたどり着いても、互いに笑顔で別れる事が出来たのは遙香にとって僥倖ともいえる。













思いもよらないお出迎えと、予想外の雨。

それらがもたらしてくれたひと時を、自分はどう振り返るのだろう。






ずっとずっと、先になって。

歳をとればいつか、懐かしく思えればいい。







もう、二度と会うことはないのだから。








‥‥‥例え今夜はどんなに涙に暮れようとも、

それを自分に認めてあげよう。


恋が終わる瞬間はきっと、そんなものだから。






  


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