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夏の雨は激しく緑葉を打ち濡らす。
ただでさえ熊野の深い森は、葉の重なりが濃い。
積み重なった葉と太い幹が神聖な薄闇を醸しているというのに。
雨が尚更深い色を成していた。

軒から見える全て。
雨の色に染まる程に激しく降る、その音だけが‥‥声の途切れた瞬間を埋める、楽の音。



「雨、止まないわね」

「ええ。もしかして何か急ぎの用事でも?」

「あるからここにいるんだってば。何の為のお迎え役なの、弁慶ってば」

「そうでした。ついうっかり」

「嘘つき」



舌を出しそうな悪戯めいた表情を浮かべて、本宮からの使いとして遙香を迎えに来た人物は小さく笑った。
それを横目でちら、と見て遙香は溜め息を吐く。
彼が何かを忘れるなんて有り得ない。
そんな事は当たり前の事実として二人の間に流れている。












伊達に幼馴染だったわけじゃ、ない。










「ヒノエはともかく、貴方が龍神の神子様をお守りするなんてね」

「ヒノエはともかく僕は意外だと言いたいんですか?心外だな。こんなに真面目だというのに」

「はいはい。そうね」



数年の時を経ての会話はどこかぎこちなくて、上手く捗らない違和感を感じた。
傷ついた振りをする弁慶も、きっと同じことを感じているはずだろう。






私達はかつて、兄と妹のように側にいたのに。

今はこんなにも‥‥







「‥‥随分、遠くなりましたね」



遙香の心の声を聞いたかのような、一言。



「‥そうね。青空は遠いわ」

「‥‥‥‥‥‥ええ」









決して天気のことではないと


分かっている、私も。











「雨宿りはまだ続きそうですから、ここは一つ昔話でもしませんか?」



弁慶がこちらを向いて微笑んだ。





‥‥ずるい人。
避けていたかったのに。
そんな私に気付いているはずなのに。



内心でぽつりと呟きを落とせば、軒を打つ雨音に混じった。












 



「昔話をと言うなら、私と‥‥‥熊野から離れていた間、貴方が何をしていたか教えてくれる?」

「この十年、ですか?」

「そう」



遙香が問うと、弁慶は珍しく眉目を寄せた。
かつて側にいた頃ですらそんな表情はあまりお目に掛かれなかったのだ。
また随分貴重なものを見た気分になって、遙香は微かに瞠目する。



「無理とは言わないのよ。そうね、違う話でもしようか?」



そんな顔を見る為に話を振ったわけではない。

ただ、二人でいた頃の話を蒸し返されるのが苦しいだけ。
本当に、それだけのこと。

慌てて話題を取り下げて、遙香は痛む心を押さえた。







いい加減捨てなければならない想いなのに。

弁慶の悲しい顔を見て、自分のことより胸が痛むなんて。






「‥‥気を遣わせてしまったようですね、すみません」

「誰だって言えない事の一つや二つ、あるものね」



‥‥‥そう。自分にだって。


弁慶にだけは決して言えない、知られたくない秘密なら抱えているんだから。



「ふふっ、君のそんな所は変わってないですね」

「そんな所って何が?」

「‥‥‥そんな所、ですよ」



緩やかな微笑を浮かべたまま、それ以上は口を噤む。
こんな時はどんなに聞き出したって、弁慶は口を割る事はないのだ。




「君はどうでしたか?」

「‥‥‥‥え?」

「‥‥‥なんて、僕だけ答えを聞きだすのはずるいかな」

「別に、そういう訳じゃないけど‥‥‥‥そうね」



不意な質問に思いのほか動揺した。


そんな自分を誤魔化す為にわざと視線を上に向ける。


雨宿りに飛び込んだ、今は使われていない小さな祠。
人気のない軒の中の空間がやたらと狭く感じた。


それはきっと、沈黙が重いからだろう。





鬼若と呼んでいた彼が、弁慶という名で熊野に帰ってきたまでの


彼のいない年月なんて







さり気なく話し出そうとすれば、代わりに涙が出そうになる。





そして、隣からは痛いほどの視線が突き刺していた。





自分は話さないくせに、何だかずるい。
なんてやはり、少しだけ思ったけど‥嘆息一つで割り切れる。



別に自分の十年なんて知れたこと。





風の噂に、人の陰口に、
耳にしてきた隣の幼馴染の十年ほどの重みもないから。
修行に籠った比叡山を降り、平家で姿を見かけたかと思ったら、源氏方についていた。
鬼だけに裏切るのはお手の物だ、と。

悪意と共に囁かれる噂なんかより、すっとずっと。





「ただ、舞を続けていただけよ」




ほら、たった一言で語れるでしょう?





  


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